トップページ > けいじろーの生い立ち

けいじろーの生い立ちの最近のブログ記事

GLBTの盛んなアメリカでの大学生活

| コメント(3)

slide3.jpgslide4.jpgslide2.jpg

上の写真は、僕が大学時代に通いつめた
サンフランシスコのレズビアンバー のレキシントンの写真です。

GLBTとは
Gay Lesbian Bisexual Transexual の略なのだと思うが、
僕が通うことになった、アメリカはサンフランシスコにある
San Francisco State Universtiy(サンフランシスコ州立大学)
では、生徒の間でも、先生の間にも
とってもオープンに、自分のアイデンティティーを公表している
方が多数いました。

GLBT サークルみたいなものあるし、
授業にも ゲイ・レズビアン史、セクシャリティー関連、
多様な性、などなど、とにかく日本の大学では
なかなか学べないものが多数あったのだ。

副専攻でゲイ・レズビアンスタディーがある全米でも珍しい
革新的な大学なのだ。

サンフランシスコとうい街自体、ゲイコミュニティーの有名な町だが、
学校内もそれに負けないくらい、

三歩歩けばゲイにあたる

生活環境だったのだ。

僕の大学には留学生も多く、日本人学生もたくさんいた。
もちろん日本人の学生達も、
日本では想像できない程オープンで
僕の知る限りでも、両手で数え切れないほどの
日本人・ゲイ・レズビアンの生徒がいた。

最初はカミングアウトに躊躇している人も
周りがあまりにもオープンなので
だんだん どうでも良くなるのだろうか(笑

キャンパスライスも2年過ぎたころには
食堂の裏の当りに 
日本人レズビアンコミュニティーなんていうものも誕生していた(爆

といっても
僕達が勝手に そこでつるんでいただけなのだが
あまりにも目立つので、近くでつるんでいた
アメリカ人レズビアン・DYKEコミュニティーの人たちに

“この集まりは Japanese Lesbian commission か??”

と呼ばれたくらいでした。
それ以来 うちらはそれを略し

JLC

などといって2年あまり楽しくつるんでいたのだった。
その間は、週末になると 必ずといってよいほど
サンフランシスコ市内の レズビアンイベントやら
クラブに皆で足を運んだのである。

それぞれ 白人好き アジア人好き(←俺)
フェム(ネコ)好き、 ストレート好き 
Butch(ブッチ)好き FTM好き。。。
などなどなど
ニーズが多彩だったが
とにかく皆で

いい女

を求めて!?
毎週末遊んだ記憶がある。

その中でも僕等の行きつけとなったBar

レキシントン(Lexington)

は、当時(今も??)サンフランシスコ市内唯一の
フルタイムレズビアンバーで、授業をサボって行っては
ビリアードをして、記憶がなくなるまで飲んだりしたのである。

僕は自称?レズビアンではなくFTMなので
一部のFTMの方からは、

何で行くん???

といわれそうだが、このバーは
FTMもタチも中性もレズビアンも
そういう枠組みはあまりとらわれず
とにかく皆それぞれ自由に自己表現をしながら
盛り上がってる場所でした。
それに男性も入れるところなので
FTMだとしても安心して入れます(^^;

今でも営業中なので、サンフランシスコに来た
方は是非訪問してみてください。
但し、治安があまり良くないので気をつけて。。。

ついでなので、次回はサンフランシスコ市内の
レズビアンバーやクラブなどを紹介しまーす。

男を頑張って好きになろうとしていた頃

| コメント(0) | トラックバック(1)

waikiki.gif

男を頑張って好きになろうとしていた頃。。。

アメリカに高校留学をした当時、僕は頑張って男の人を好きになろうとしていた。
日本での女子校時代は、バリバリ女の子との恋愛を楽しんでいた僕であったが、
なんというか。。。
今みたいに 性同一性障害も、同性愛ライフも 全然闇の中だった時代背景もあり、
こんな僕でも、いずれは女にならなくてはいけない日が来るのだと
どこかで諦めていたのかもしれない。

いつかは世間で言う“普通の女”
というヤツにならざるを得ないのかなと。。。

そして留学をした時、つまりまわりは僕の過去を知らないのだから
俗に言う ストレートになる最高のチャンスである。

だから僕は 留学した頃は 頑張ってアメリカンな男を物色していたのだ(笑)
英語も早く覚えたいし、これは彼氏でも作るのが一番だろうと。

しかし、案の定、一向にときめかない。
それどころか、体重はぶくぶくと増え、
とても彼氏を作るような体ではなくなってしまった。

いくらアメリカといえど、アメリカに来て半年で17キロも太った僕は
女にも男にもモテなそうなみてくれになっていたのだ。

幸い、ハワイに移住してからは、毎日のマリンスポーツの御陰で、
少しずつ体重が戻り、高校を卒業するときには元通りの体重に戻ったのだが。。。

それはともかく、アメリカに留学をして、ハワイで、
第一印象最悪だった、この在日韓国人の女の子とひょんなことから
つきあうようになるまでは、僕は心の中で ずーっとずっと

“もう女は終わり。そろそろ男を好きにならなくては。。。”

と真剣に思っていたのだ。

そんなわけで、その当時の彼女と、高校卒業後、
サンフランシスコでの大学進学を決めてここに来たのだ。

その当時は、うっすらとサンフランシスコ=ゲイの町
というイメージはあったが、決してそれが目的で来たのではなく
高校3年時の修学旅行で訪れたのがきっかけで、
その彼女の方がめちゃめちゃこの街にほれ込んだのである。
僕はどちらかと言うと、小さい頃に住んでいたロサンゼルスや、
大都市ニューヨークの方に興味があったのだ。

現在の彼女のことを考えると、前の彼女のことは
ブログに書くべきではないかと思ったのだが、
僕が今の彼女との出会いを書くにあたって、
この彼女との出会い、そして韓国文化との出会いを抜きにしては
ちょっと話ができない手前、簡単ではあるがここで紹介させて頂くとしました。

今もこの子とは、友達というよりは
親戚というか、そんな感じで仲よくさせてもらってます。
それを理解してくれる今の僕の彼女は、本当に
世界一いい女だと思ってます。
ここでのろけるとぶっ殺されそうなのであまり言わないが、
一瞬クールな外見とは裏腹で、本当に器の広い、大したヤツです。

いつか彼女のブログをLINKできればと思ってます。

そんなわけで、一生懸命“ふつーの女”を目指して
彼氏まで探していた僕だったが、
このハワイでの衝撃的な出会いにより、
再び“Majority"(多数派)ではない
恋愛の形を取り続けていくこととなったのである。

遅かれ早かれ、僕は自分の心に嘘をつきつづけることはできなかっただろうけど
こうやって、僕は戻るべきところに戻ってきたのである。

次回は レズビアン・ゲイコミュニティーがめっちゃ盛んだった
サンフランシスコ州立大学での生活をお送りします。

ハワイでの高校生活(高校留学2年目)

| コメント(0)

ハワイでの高校生活(高校留学2年目)

強盗事件をきっかけに、ひょんなことから
ハワイの高校に転校したおいらだったが
学校選びは 一番安い学費と寮があるという事で決めた。

とにかく強盗のトラウマで 学校の外に出るのが怖かったのだ。

当然、実際にハワイに引越してみれば、
そこは半分日本。カリフォルニアでの留学生活とは
うってかわって、楽しいリゾートライフがはじまってしまったのだ。

留学先で強盗されました(カリフォルニア州サクラメント近郊で)

| コメント(0) | トラックバック(1)

留学先での強盗事件(カリフォルニア州サクラメント近郊で)

大分前回の記事から間が開いてしまったが
続けて行こうと思います。

16歳でアメリカの高校に自称、なんちゃって
女子サッカー留学したところまでお話しましたが、
実はそんな矢先、僕は強盗にあってしまう。

まだハロウィンの日に服部君という少年が
殺害された事件の記憶が真新しかった
1995年の冬、僕はスポーツクラブの帰り道、
道を聞くふりをして近づいて来た4人組(それも全員女のスペイン語圏の人)に
突然拳銃で脅されて、全ての所持品を取られたのである。

サッカー選手になりたかったFTMの僕。

| コメント(0)

1993年、Jリーグ開幕の年。。。
僕が15歳の時、高校一年生の時だった僕は 
LOS ANGELES(ロサンゼルス)郊外に1ヶ月間の
ホームステイをした。

幼少時代、3年間ロスに住んでいたい事もあり、
9年ぶりに踏んだアメリカの地は 
当時の僕にとっては感無量だった。

これが後に僕を高校留学へと導くきっかけになったのは
間違いないと思われる。

私立女子中学時代のFTMな僕。男として女の子を好きみたいだ。。

| コメント(0) | トラックバック(2)

お休みしちゃってすみません。素敵な方からコメントをいただけたので
心を入れ替え、また今日からこつこつブログ書いて行きたいと思います。
生い立ちが中学で止まってしまっていたので続きから書こうと思います。

ええ、女の子にモテたい、男に邪魔されずに女の子たちとウハウハな生活を
送ることを夢見て入学した私立の女子中学で、衝撃的な初大恋愛をしたことは
前回お話しましたが、今日はそんな中学時代お話、そして高校で留学するまでの
お話をしたいと思います。

僕が大好きだった先輩とは、なんだかんだで高校1年の初めくらいまで
ふか~い関係だったと思います。
14年近くも前のことなので、記憶は鮮明ではないけれど、
女同士、僕らは時に先輩後輩、時には姉妹のように、
時には恋人のように、時には親子のような、
そんな関係を築いていた。

このときの付き合いは、お互いに男とか、どっちが女役とかそういうのもあまりなく、
どちらかっていうと、二人とも両方OKみたいな
フレキシブルな関係だった。
学ランが着たかった僕だけど、仕方なく毎日セーラー服で通学していたし、
(さすがに電車通学なのでジャージも無理だったので)
ベリーショートな髪型にルーズソックス、スカートは膝よりも短くして
きっとはたから見れば、それなりの典型的な女子中学生でもあった。

先輩とは付き合ってはいたけれど、当時の自分たちは、
こんな事がずっと続けていけるとも思っていなかったし、
もちろん続けたい気持ちは山々だけど
まだまだ時代が時代だったから、
そんな選択はないし、いつかは異性と結婚しなくてはいけないと。。。
心のどこかで思っていたと思う。

僕等二人の関係は、きっと誰が見ても
ただの先輩後輩ちゃうやろ!!??
っていうほどあからさまに目だっていたと思う。
一人暮らしだった僕は、親に監視されることもなく
いつでも彼女のところに行けたし、彼女も来ることができた。

そう、余談だが、
父親の僕に対する暴力などが原因で、両親は小学校の時に離婚していたこともあり、
母親に彼氏ができた中学2年から僕は、一人でアパート暮らしを始めた。
もちろん違法なのだが、学校にも内緒で、
僕は13歳で一人暮らしを始めたのである。
それをきっかけに、年齢をごまかして、バイトもはじめた。
それまでは学校での成績は正直すばらしいものがあったのだが、
一人暮らしと、先輩との関係、そしてバイトと
僕は優等生からコロンコロンと転落していったのであった。

まー それはいいのだが(^^;;
そんなわけで、ちょっとかわった中学生活を送っていた。

先輩とお付き合いする前は、クラスや同級生の子から
何人からか、告白されたりしたが、
さすがに同級生はまずいやろと、友達の関係のままでいた。
だけど彼女達は既に結婚していたり、彼氏がいたりと、
皆、一様にストレート(異性愛者)の子たちだ。
だから、今思うと、僕を女として見ていたのではなく、
男として好きになっていたのではないかと思う。

そんな楽しい中学生活を終え、僕は無事付属の女子高に進学した。
外部からの学生も増え、ますます女の子で盛り上がって参りました♪
女だけ2000人もいる僕の学園は、
まさに 女の花園でした~

奇抜な発想や、人に何を言われても貫く強情な面を持っていた僕ではあったが、
同時に、世間の目、世の中の慣習に逆らうべからずと古臭い考え方を持っていた
当時の僕は、先輩と別れたら、次は絶対に男の人とつきあうと決めていた。
だから頑張って女らしくなって、なんとか男の人を好きになろうと努力した。
そしてそれが唯一の正しい道なのだと当時の僕は信じていた。

ところが、ホームステイで高校一年の時にアメリカに行ったの時、
その一緒に行ったグループの中の一つ年上の女の子に、
僕はメロメロにハマってしまった。

内心、あれ??俺また女の子好きになってしまった。。。。

と少々戸惑ったが、既に時遅し。。。
好きな気持ちはまたしても抑えられない。。。
そして突き進むだけだった。もちろん彼女もストレートだった。

このホームステイでの僕のあだ名は

“ボーイ”

そうです。男って意味です。
サッカーボールを片手に、超短髪で
ボーイッシュな僕は、グループの男の子たちから
そう呼ばれていた。

この頃から僕はだんだんと男化してきたのだと思う。
頑張って男の子を好きになろうと、お化粧をして夜遊びする自分、
そしてサッカー少年と化し、無邪気に女の子を好きになる自分、
その二人の自分が僕の中に共存していた。

だけどどう頑張っても、男の子を好きになれない。
それどころか、好きになる子はみーんな女の子だし、
だけど何故かしらんが、自分はレズビアンではないような気がするし、
僕を好きになってくれる子も、レズビアンではない。

うーーーーん。。。

なんなんだろう。。。
行動、考え方、思考回路、恋愛の方程式。。。。
どれをとっても自分は男のようだ。

つまり、男として彼女達を好きになっているのかも。。。。

少しずつだが、そう思い始めていた頃である。

まだ世に 性同一性障害などと言う言葉は存在していなかった
90年代前半のことである。

つづく。。。

女のモテたくて行った私立の女子中学校(爆)

| コメント(1)

小学校6年生の始め、
自分の体は女であるにもかかわらず、

“自分は女が好きである”

と確信した僕は、中学からは
地元の共学の公立ではなく、
東京都内の私立の女子校に行きたいと真剣に思うようになる。

公立の中学に行きたくない理由は色々あったが、
なんといっても一番の理由は、

男に邪魔されずに
女にモテタイ(笑 

であった。

男の子に間違われた幼稚園小学校時代(FTM性同一性障害ブログ)

| コメント(0)

僕は小さい頃から男の子に間違えられてきた。
というか、これがもしかしたら
間違いではなく、
正解
なのかもしれないのだが。

もし僕がFTMであれば、
女に間違って生まれた
本当は“男”だとすれば

大正解ということになるのだが。

というのも、親は知ってか知らずか、
小さい頃からあまり女の子としての
扱いを受けていなかった気がする。

4歳で渡米~初めて買って貰った車のオモチャ。

| コメント(2)

4歳で渡米~初めて買って貰った車のオモチャ。

今思えば僕は大変なマセガキだったのかもしれない。

5歳になる1ヶ月前、僕はいきなり母にアメリカに連れて来られた(笑
全く予期せぬ出来事だった。
アメリカと日本の航空券が50万もするような時代だった。
1982年のことだった。

当日の朝、突然の報告を受けた僕は、
いとも簡単に、あっさりと
当時通っていた、東京都東久留米の上の原保育園や
近所の友達とのお別れする時間も与えられぬまま、
成田発 LOS ANGELES行きの Pan Am(今はなきパンナムという大手飛行機会社)
の飛行機に乗せられたのだった。

はじめは抵抗していた僕も、
一週間だけだからという母の言葉と、
できたばっかりのロサンゼルスのディズニーランドの写真に誘惑され、
素直に母にくっついて行ったのだった。

このとき父親は一緒ではない。
まさかこの旅が1週間どころか、
3年も続くなんて僕は全く予想もしていなかった。

冷蔵庫もない、家には保存のきくバナナしかない。。。
100円のドーナツが高くて買えなかった、
そんな長く辛い貧しいアメリカでの生活の中で、
僕が滞在3年目に、はじめて買ってもらったのが、
車のオモチャである。

男の子のおもちゃとの出会い、そして立ちションの試み。

| コメント(0)
男の子のおもちゃとの出会い、そして立ちションの試み。
初めて“僕、男なんだ”と確信したのは確か3歳の頃だった。
合唱団で知り合った両親を持つ僕は、小さい頃からピアノを習っていた。
余談だが、僕の名前の由来も
両親が出会った合唱団の先生の名前から来ているとのことだ。
結果的には5歳になる直前にアメリカのロサンゼルスに渡米することになったので実際に習っていたのは2年にも満たないかと思う。

それ以来ピアノは習ったことはないが、
なんだかんだ言って、苦労しながらも
なんとか大学で音楽を専攻し卒業することになった僕の基盤は
この当時に培われていたのかもしれない。

それはさておき、僕が今でも鮮明に記憶していることがある。

僕は本当にFTMトランゼクシャルなのか(FTM性同一性障害ブログ)

| コメント(6)

僕は今でも良く、自分を分析する。

本当にFTMトランゼクシャルなのかな~と。
本当に性同一性障害なのかな~と。
そして、はたまたそんな障害って存在するのかな。。。などと延々と。。。

でもどつぼにはまってくると、頭がおかしくなりそうなので
いちおう ヤバイ。。と思ったらやめるようにはしている。

今でこそ たまにはブラジャーなんかもしてみたり(だってしないで夏はきついので)
日焼け止めなんかもぬってみたり
すね毛なんかもたまには剃ってみたり
脇毛なかもたまに剃ってみたり

いわゆる 俗に言う

 “男がしない事”

と世間で定義されていることを

ま、いっか と

やってみれるようになったのだが

これを実行できる というか
実行してみてもいいやと思えるようになるまでは
それはそれはながーーーーーーい道のりだったのだ。


今のように、ある意味開き直って、
そしてある意味 あるがまま、ありのままの自分を受け入れようと。。。
そう思えるようになるまでには
何度も挫折、葛藤、鬱、パニック、絶望、を
繰り返したのは言うまでもない。

ある日は
おう。絶対に性転換するぞ!俺は間違って生まれてきたんだ。
本当の体に戻さなくては。

と思い

はたまたある日は
性同一性障害!?
俺が女の体してて中身とか脳が世間の定義で言う“女性”ではないというだけで
障害なのか???そんなわけはない。
そもそも男はこうあるべき、女はこうあるべき。。。
そういう世間の一般論や、大多数=正しい、まとも、普通
そう定義してきた世の中が生み出させてしまった
錯覚なのでは。。。
だから、僕の体にホルモン注射やメスを入れるのはおかしい。
変わるべきは世の中だ!

と思う

はたまたある日は

いや、色々意見はあるが、
この体、この女の体自体が受け入れられないのだ。
世間とがどうだろうと関係なく
これは僕自身の問題なのだ。
だから、やっぱり妊娠中に男性ホルモンを過剰に浴びたかなんかで
脳が男性化したに違いない。
ならばやはり元の自分といわれるものに戻るべきなのか。。。

だが、またある日は

世界が 男性の性器、つまり ペニスがある事が
有利、優性だとしてきたことにより、
世間一般で 女性らしい とされていることを遂行することが
まるで 劣勢・不利だと感じてしまい
無意識のうちに、ペニスを手に入れることで
優位に立ちたいと思ってしまっているのではないか。。。。
つまり、自分も男になって 男の特権を利用したいだけなのではないか。
そうとまでは言わなくても、男の体になりたいという願望の一部は
そういった社会の構成によるところの影響ではないか。。。

しかし

3歳だった自分が
鮮明に 何かをおかしいと思い
自分は本当は男なのだ
と思った あの強い確信は
嘘だとは思えない。
それに3歳の子に 既にそのような
男性優位の社会を 認識するだけの能力があっただろうか。
もちろん無意識な男女区別や扱いの差は感じているだろうが、
あそこまで記憶に残っているあの感覚は
やっぱり生まれつき、もしくはDNAの何かではないのか。。


こんないたちごっこが
僕の中で何年も何年も続いたのであった。
そして、今でも全くその葛藤がないわけではない。

きっとほとんどのFTMトランゼクシャルの方は
多かれ少なかれ葛藤はもちろんあると思う。

少しずつこのブログでは
自分史を含めながら、
また、僕が28年間の人生において
一番役に立ったと思っている
サンフランシスコ州立大学(San Francisco State University)通称SFSU大学在籍中に得た知識を元に、
アカデミックな、学級的な論点からも
冷静にトランゼクシャル、FTM,MTF 性同一性障害について
そしてまた、ホモセクシャル、レズビアン、バイセクシャル、
などなど様々なセクシャルマイノリティー(Sexual Minority)
性志向などについて探求していければと思ってます。

それが自分も含め
少しでも何か誰かの
お役に立てればと思ってます。

なんだか堅いですが廉

気軽にメール下さいな。コメントも大歓迎です。

8月13日 
けーじろー

けーじろう日記のはじまりはじまり

| コメント(0)

てなわけで
頑張って毎日日記を書いていくことにしました
おいらは現在27歳(~~;
大した文才も芸もございませんが、
地道に続けて行きたいと思ってますので
よろしくお願いしますだ。

基本的には感じたこと、思ったことから、
日常の些細なことまで何でも書いていくつもりです。
ほとんどは自分の日記のようなものかと思いますが、

とりあえず思い出せる限りの生い立ちを
セクシャリティー(性同一性障害や同性愛など)ということに関連つけて?!
書いていこうと思います。

できるだけその時々の写真なんかも
あるだけ載せれたらと思ってます。

どうやって
女→男→中性??
と変化していったか。

それをできるだけリアルに
そして一人でも多くの方と
つながっていけるような形で
記録していけたらと思ってます。

今日は簡単に
けーじろうの基本情報からはじめたいと思います。

名前: けーじろー
性別: 身体的にはXXの為女 心は男→ユニセックスになりつつある
生年月日:昭和52年8月30日
星座:ロマンチストなおとめ座
血液型:自分でも自分が二人いるような気がする AB型
生まれ:東京都田無市
兄弟: 一人っ子
身長 157cm 体重 49キロ
足 24.5cm

明日は続きをftm100の質問とかやってみたいと思います。

最近のコメント

My Music

  • ミート・ザ・ブルーハーツ~ベスト・コレクション・イン・USA
  • THE BLUE HEARTS
  • ザ・ベリー・ベスト・オブ・ユニコーン
  • リンダリンダ/僕はここに立っているよ
  • Greatest Hits, Vols. 1 & 2
  • 君は誰と幸せなあくびをしますか。
Creative Commons License
このブログはクリエイティブ・コモンズでライセンスされています。