問題の本質に迫る!? 倖田來未さんの発言について

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歌手の倖田來未さん(25)がラジオ番組で「35歳を回るとお母さんの羊水が腐ってくる」といった趣旨の発言をして批判され、自身の公式サイトで謝罪した。。。。

なんていうニュースがいまものすごい勢いでニュースが取り上げられており、倖田來未さんという影響力の大きいスターの発言ということで、まあ、素人が発言したのに比べて、比較にならないくらいの波紋を呼んでいるようですが、GIDと直接は関係ないですが、間接的に?関係ありそうだし、ちょっと気になったのであえてここで取り上げることにしました。



ぼくも倖田來未さんと同じで、医学の知識はない。ただ、大学時代にセクシャリテーにフォーカスしていたので、かなり詳しく勉強したほうだとは思う。その授業の中でだったが、確かに35歳以上になると、色々な意味で、妊娠のリスクが増えるということは勉強した記憶がある。その時は主にダウン症の子供を出産する確率が上がるというものだったが、今回の倖田來未さんの発言のもととなった情報源?の根源にはこのデータが関係しているのではないかと思う。(実際20歳未満の母親による出産ではおよそ1/2000なのに対し、いわゆる35歳以上の高齢出産での発生率は、35歳でおよそ1/400、40歳でおよそ 1/100、45歳でおよそ1/30と高率というデータがあります)。

また、ぼく自身、アメリカで不妊治療の機関で働いていたことがあったので、高齢になればなるほど出産そのものだけでなく、体外受精の成功率がかわってきたりと、そういうことはきちんとデータとして見せられてきた。もちろん、個人差はあるし、あくまで1スタディーでの統計でしかないが、そんなことを言えば、世の中なんて統計と傾向をもとにすべてがなされてるわけだから仕方あるまい。

たとえば一日100本たばこを吸っていたって 100歳まで生きる人もいれば、1本も吸わない人だって 若くして死ぬ人だっている。

こればかりは誰にも予測できない。しかし、だからといって、100歳まで生きる人がいるから、たばこはまったく害がないですよーーとは言えないし、20歳で死ぬ可能性があるからって、100%吸ったら病気になるよーーーとも言い切れない。きっと妊娠のしやすさ、不妊だって様々な要因があるわけで、高齢だって楽に妊娠出産できる人もいれば、若いからって楽で安全だとも限らない。

でだ。

なぜにこの問題をここで取り上げたかというと、なんだか、倖田さんの「35歳超は羊水腐る」っていう発言だけに注意がいき、彼女一人だけが非難されているように見受けられるが、僕は違う見方をしている。確かに心ない発言と言えばそうだし、傷つく人はいっぱいただろう。でもそんなことを言ったら、例えば、結婚発表とほぼ同時多発的に浴びせられる

 “お子さんはまだ?” “お子さんは何人欲しい?”

という各局のアナウンサーのお決まりとも言えるあの質問攻めはどうなんよ??という話になる。

結婚=妊娠・出産 ではないし
あえて子供を作らない人 作りたくてもできない人さまざまなように

人にはそれぞれ事情がある

あの、“お子さんはまだ?” “お子さんは何人欲しい?” の質問を聞くたびに、わが日本国のメンタル的な遅れのようなものをとても感じ、また、これだけ不妊の夫婦の多さや、GIDを含め様々な方が世間で露出しているにも関わらず、何十年もあの質問を繰り返して、見直そうという動きがないのは、怒りを通り越し、呆れてしまう。。。のでもあります。結局は教育が問題なのかな。。。という気もしますが。性教育やHIVなどの問題には本当に消極的で、少子化少子化。。。経済経済。。。。年金年金。。。。ばかりに目がいき、結婚しろー!もっといぱい子供を産め!産め!という声ばかりが聞こえ、妊娠を推奨することで伴うリスク(HIVなどの性病も含め)の教育などの義務化や充実の責任を、まったく無視している。

逆に言うと、インタビューで子供は?と聞かれたときに、 

極端な話

“どうして子供を作ると想定して質問するのですか?”
 
もしくは

“あなたは私たち夫婦の生殖器が正常に働いているというデータをどこかから入手して、それでこの質問をしても大丈夫だろうという確証でもあってしてるんですか?” 


と言い返すくらいの人がいてもいいのでは??と思ってしまう。(少々大げさですが。。。)

また、同じようなことだが、例えばテレビでタレントさんは、男性なら ”好みの女性のタイプは?” 女性なら ”好みの男性のタイプは?”という質問が日々、いろんな局でなされている。しかし、いつも思うのは、

どうして彼(彼女)が、異性愛者だって決めつけてるんだろう??どっかで調べました?” 

ということだ。

絶対にといっていいほど、中には実は俺ゲイです、私レズビアンです、私は人を好きになりません!と内心思っている人もいると思う。

そんなことはメディアを始め、大多数=正しい=発言してOK という暗黙の方程式で行動し、そして、その方程式にそって発する言動であれば、どんなに誰かを傷つけていたとしても、まったく悪びれないといったような、そんな風潮、、、いや陰謀?でもあるように思える。

だから僕はこのニュースを聞いて思うのは、彼女一人を責めてどうにかなる問題ではないということだ。

ぼくがこの件を通じて思ったことは、ここまで多くの女性から苦情が寄せらているのは、倖田來未さんがそういった発言をしたから。。というよりは、むしろそれだけ“妊娠・出産”が、ものすごい女性にとって繊細にならざるを得ないテーマになってしまっているということだ。

もっと言えば、世の女性達は “妊娠・出産”をしなくては。。” というプレッシャーや、もしできない場合、女としての価値がどうとか。。、男性側の家族に申し訳ないとか。。。。挙げたらきりがないが、それだけ、産めない、なかなか妊娠できないということで、多くの女性たち、夫婦が苦しんでいるということだ。(もちろん不妊は女性だけのものではありません。)

ではなぜ苦しんでいるの?ということを突き詰めれば、それは、世間や家族、友人からのプレッシャーだったりするのではないだろうか?

何気なく聞いてしまった “子供はまだ?” という質問。。。。胸に手を当てれば、誰でも人生で一回くらいは悪気はなくとも言ってしまってるのではないだろうか?

もし余計な周囲の期待や、大多数が結婚したら子供をもうけるからそれが=当たり前=正常=正しい、できない=悪い、劣る という方程式がなければ、もちろん授かれないことを残念と思うことはあっても、それで気が狂いそうになることもないだろうし、できない人もいて当たり前という風潮なら、インタビューで お子さんは?と聞かれても

“うちは作りませんから” とか
“うちは、不妊症なのでわかりません” とか

言ったってよいわけだ。
逆にいえば、だれもそう答えないから、いつまでたっても “産んで当然、産んでしかるべき” 的風潮がかわらないのだと思う。

ほんとうならインタビュアーに “ブラットピットとアンジェリーナジョリーは養子をもらいましたが、日本の養子制度についてどう思われますか?” くらいの意識の高い質問をしてくれたらまだしも、答える方もいろいろと言いやすいのではにか(ちょっと例が悪いですが。。。それにこういう質問だとワイドショーがネタに困るのかな??w)。

子供は?と聞かれて、できないときに答えづらい雰囲気と
好きな女性は?と聞かれて、”僕ゲイなので男性が好きです” と堂々と言えないのと

なんか本質的なところは似ている気がする。

どこかに、ある一定のマジョリティーが自分たちが優位でいたいが故に、
言いづらい雰囲気をあえて作っているというか、見直していないような気もする。

本当は全身マジョリティーな奴なんていないはずなのに。

だけど、やっぱり誰かが、ハッキリ言わないと、何も変わらないわけだ。

誰も他人が、大丈夫かな?これ言ったら傷つかないかな??なんて考えてくれるわけではない。結局は

ぼくは、こうこうこういう理由で不愉快です!

こういう言動はこうこうこういう理由で傷つきます!って言わないと、わからないもんね。

けーじろーは30歳にして、ようやく“本音を言う”ことの大事さを、そして言わないと何も伝わらない、変わらないことを実感しました。ある意味、これは今の嫁のお陰ですw 不満や要望を一切口に出せなかったぼくの口を、かなりしつこく強引にこじ開けてくれました(笑)。そして言うたびに “へぇ~ 全然気づかなかったぁ~ そんなところで怒ってたんだぁー へぇ~” と言っています。なので、言葉にして伝えるって大事なんだなーと。ほんと、感謝しています。

なのでみんなー!勇気を出して不愉快なことは不愉快だと声をあげましょう!^^なーんて、ほんのちょっとでも思ってくれたらサイワイかしら~ 自分でブログをやるでも、ぼくのブログのコメント欄に便乗するでももちろん可ですが(笑)

そうそう。そんなわけで、ちょっと今回のニュースからは離れましたが

・倖田さんを批判するだけの、性に関する教育を、日本の義務教育でしているか?
・倖田さんを批判するだけの思いやりと知識のある発言を、我々や社会全体ができているか?

そう考えれば、何も倖田さんばかりを批判するのは角違いという気がする。むしろ、彼女の発言によって、根底にある問題に気づかされる結果となったという見方だってできる。

人は人と比べる生き物だ
人は偏見を持つ生き物だ
人は自分が優位に立ちたい生き物だ

本当にそう思う。僕だってもちろんそう。
綺麗ごといったって、偏見ゼロなわけはない。

そういえばちょっと前、このブログでもダウン症に関する記事を書いたことがあったが、生まれてくる子がダウン症かどうか、妊娠15~16週ごろに行う羊水染色体検査で診断することが可能だ。僕が勉強した当時、アメリカでは35歳以上の妊婦にはたしか推奨していたと思う。日本では一般に学会の倫理規定などでは、正式には「医療側はこういった出生前検査は妊婦に対し積極的に進言してはいけない」とされているがこれも大変難しい問題だ。今のところは医師によるところが大きい。また検査をするにあたり、流産の危険性が 1/200程度あるというのも留意点だ。

ただ、一番の問題というか課題は、もし、検査でダウン症の可能性が高いとなった場合に、じゃあ産むのをやめるのか?ということだ。大げさに言えば、もし検査でGID(性同一性障害)ってわかったら産みません。。。っていう考えにだってつながりかねない。 ダウン症=劣る、面倒、大変 、本人もかわいそう。。。という見方があるのだろうが、これだってある意味エゴだ。本当にダウン症の方がどういう可能性があるのかとか、周囲はしょせん、マジョリティーと比較したときに”障害”として扱っているだけで、別に彼らが劣るとかかわいそうなんて問題は、我々の狭い価値観の中で、マジョリティー優位の世界観の中で勝手におこなわれている論議でしかない。実際に育てている母親、家族だって、もしかしたら健常者とされる子よりも幸せな家族を形成している可能性なんておおいにある。ちょっと不便な箇所があるからって、=不幸ではない。

不便さが故にもたらされる幸せと

不便さによって増す絆だってある。 

僕は、存在するすべてのもにに意味があると思うので、排除するのではなく、結局はそれを受け入れ、プラスに変えてゆくことが大事だと思う。

おっと、いまこんなニュースも飛び込んできた。
性同一障害者がNGOとエイズ予防運動
http://www.voiceofindia.co.jp/content/view/824/74/

別に性同一性障害者が特別扱いをされることも、優遇される必要もないと思う。ただ、”気づくことができた人からちょっとずつ世の中にメッセージを発する、そして行動する” こういう小さいところから世界は変わるんだと思う。

この一件で改めて、わが身の言動も見つめなおしたいと思った。

何気なく言っている一言で。。。というか 何気なく言ってしまう一言だからこそ傷つけてしまうことは誰だってある。そんな毎回毎回、大丈夫かな?これ言って大丈夫かな??なんて考えてたら、楽しい会話も続かなくなってしまうのも事実。ただ、不思議と、色んなものに目を向けて、きちんと知ろう!という気持ちを意識的に持つと、自然と自分のなかの無意識な偏見が減ってきて、おのずと傷つける発言の回数も減っては来ると思う。

ぼくも昔、美容整形手術をしようとした人には

“ありのままでいいやん!そのままで十分なのに!!” とか

例えば建築の才能のある人には

“いま辞めるなんて勿体ない!続けて” と、良かれと思って言っていたと思う。

でも今おもえば、なんて自分勝手で無責任な発言なんだろうとも思う。

もちろん自分の気持ちや意見を述べることは悪いことではないが、

相手がどんな思いでそこにたどり着いたかを考えれば、その方の人生の責任を取れない他人のぼくが、軽率に“やめなよ”とか“もったいない”なんてよくぞ発言していたな。。。と思う。

まあ、最終的には

どの有名人、知人、友人、親、恋人が 
爆弾発言や心ない発言をしても

人間だから言っちゃうこともあるわけで、大事なのは、なぜそれに対して自分が反応したり、憤慨しているのか。。というところをちゃんと見つめることが、案外忘れられているけど大事なんじゃないかと思う。

だって、本当に信念もってやっていれば

周囲の雑音も発言も 流せばいいわけだし。難しいけどね^^;

倖田來未さん!届かないでしょうがメッセージをw トラックバックできるかな。。。。

今、本当にお辛いと思います。でも、來未さんの大きな影響力は宝です。使いようによっては凶器になることもあっても、すばらしい世の中の不幸を一掃でいるくらいの大きな力も希望も持っていると思う。^^ ピンチはチャンスです。応援してます!

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