元レズビアン?性同一性障害(FTM)の議員結婚へ

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ドイツ~性同一障害と結婚(上)話題のシェンク連邦議員
http://www.news.janjan.jp/media/0802/0802030091/1.php

こんな記事を発見しました。ドイツの連邦議員のシェンクさんはいわゆるGID(性同一性障害)ということですが、身体的な治療
、つまり外科的手術を(いわゆる性転換手術)を受けたのは2年前。治療前から連れ添っているパートナー(女)は、完全なレズビアンということ。医師の所見⇒戸籍の性別変更 という流れで、それを機に戸籍も男性になったということらしい。
興味深いのはこのシェンクさん、ベルリンで女性といっしょに生活しているのだが、相手の女性とはシェンクさんがまだ女性だったころに始まった関係、つまりレズビアンカップルとしてつきあっていたわけです。

は い、ここまでなら、まだよくある話。。っちゃ話ですよね。ある意味、ぼくだって治療していない今、いくらGIDの可能性ありっていったって、戸籍と身体の 性別だけ見れば、完全な同性愛、つまりレズビアンのカップルだ。しかし、ポイント?でもないが(笑)、レズビアンと呼ぶにふさわしくない?というか。。。 まあそういう理由があるとすれば、嫁が完全な異性愛者であり、決して女性が好きなわけではないわけだ。当然、ぼくの体のことを思ってホルモン治療や性転換なんてしなくていいんじゃない??なんて発言 はするが、まあ、願わくば?!ぼくの体も心と同じように男であれば尚、良かったのは間違いない。

しかし、シェンクさんの彼女はちょっと違う。

彼 女の職業は裁判官で、性同一性障害でも異性愛者でもなく、女性の同性愛者、つまりれっきとしたレズビアンであるということだ。だから、彼女にしてみれば、 シェンクさんが女だったから恋愛対象だったわけで、シェンクさんが男になったんだから、彼女にしてみれば、本人はレズビアンなのに、異性愛者にならざるを 得ないような状況になってしまったわけだ。

シェンクさん自身はもともと「心は男」だったので、この変化にはそれほど大きな違和感はなかったらしいが、彼女にしてみれば、“なんであたしは男とつきあってんねん!!(笑)” っていう感じだと思う。

もちろん女性のほうはやはり当初は「妙な感じ」がしたそうだ。体が男になった(近づいた)彼とセックスをしたり、二人でレズビアンクラブへ行けなくなったり、性の役割分担に直面したりと。。。。

それでも別れることはなかったが、彼女自身は、今でも自分はやっぱりレズビアンだと感じているとのこと。男性に興味はないらしい。

だけどシェンクさんだけは「例外」なのだとか。

ん???複雑?

はい。確かにそうですね。

それに、こういうことがあると

同性愛(レズビアン) と GID(性同一性障害)がまた同じにされて不愉快だ!!

などという意見が出てくるかと思います。

たしかに僕自身も、“けーじろーはレズビアンなんでしょ?”と言われたら、いい
気持ちはしません。 自分が女だと思えているのであればそれでいいですが、やっぱりぼくは誰がなんと言おうと、女の気持ちで女の人を好きになったことはないから。

が、しかし

ぼくの関心はあまりそこにはありません。

それよりも、”海の向こうにもこういう人もいるんだ!” という事実だけで十分だと思っているからです。

彼女のコメントにあったように

”自分はやっぱりレズビアンだと感じている。男性に興味はない。ただし、シェンクさんだけは「例外」。”

この気持ちだけが事実であり、真実であると思うからです。

男と女という2分の性、そして異性愛、同性愛どちらかの性志向のあり方しかあり得ない、理解できないという方からすれば、サッパリ意味のわからないことかもしれないが、ぼく個人としては、とっても納得がいく。

自分がありたい性 自分がこうだと思う自分の性 
自分が好きだと思っている相手の性 
自分の性志向だと信じているセクシャリティー 

もちろんあるだろうけど

結局は 人間なわけで
人として人が好きだというものが根底ある場合は
相手の性別や自分の性別がかわることで揺るがない関係があっても、とてもしっくりくるのだが、ぼくが変なのだろうか?

極端な話をすればだが、ぼくは無類の女好きだが(笑)、もし明日朝起きて、嫁が毛むくじゃらの男になっていたとしても、それが原因で別れることも彼女を嫌いになることはないだろう。

もちろん様子が違うわけだから ^^; 戸惑いはするだろうけど(笑)

人によっては 
好きだという気持ち 誰かを愛するという気もちよりも

自分の体が 心が 男だ 女だ
自分は異性愛者だ ゲイだ レズビアンだ  

ということに重きを置く人も多くいるだろうし
それが悪いわけでもなんでもない。

ただ、ぼく個人の場合は 究極の意味では

自分も 相手も

性別なんて どうでもいい。

性別にこだわったせいで 誰かを愛せないとか
誰かと一緒にいれないと決め付けてしまう考えのほうが

よっぽど不幸に感じるからだ。

その中で、 それを重々わかった上で

それでも ありたい自分に少しでも近づきたい。

そんな感覚なんだと思う。

皆さんは この記事を読んで どんな感想をお持ちなのだろうか^^



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