来月早々、僕は待ちに待った
GID(性同一性障害)で某有名な先生の診察を受けられることになった。
これは大変光栄なことだ。
応援してくれた友人にこの場を借りて感謝の意を表したい。
何で今更??とか 逆に
何で今まで行かなかったの?などなど
きっと皆さんも そして僕も 思うところはあるが
これこそが "人生のタイミング" とでも言うものであろうか。
何かこれ!というとっておきのきっかけがあったわけではないが、
最近思っていたことは
僕の一番の悩みがGIDである以上 それ以外のことを最優先に悩むことができない
ということだ。
ちょっと変に聞こえるかもしれないが
つまり
そろそろ違うことで悩みたい! そう思ったというのがある。
もちろん今までみたいに、性別違和を抱えながら
その悩みと日々共存していくことも可能だ。
でも、答えのない悩み事に対して 一生堂々巡りをしていることに
そんなに意味があるのか・・・・という疑問がないわけでもない。
たとえ、人生の中で、何かをばっさり諦めても、
"これだけは!!" というものを優先し
いままでとは違った、新たな方向に転換するのもアリなのでは・・・
そう思うようになった背景には色々ある。
7年以上も連れ添った彼女と突然別れたことや
結婚生活にピリオドを打ってまで 僕と一緒になってくれた今のカミさんのこと
自分の年齢が三十路になったことや ^^;
30年言えなかった親へのカミングアウト
供養も親孝行もできなかった親父の位牌を北京に連れて行けた・・・ などなど
色々な紆余曲折があった中で
自分の人生 限られた人生
そろそろ同じことで悩み続けるのはいやだ!
どうせ100%は解決することのない問題なら
己の宿命をとっとと受け入れ
できる限りの対策をうち
そして
もう二度と、それを言い訳にすることなく
これからは生きていきたいと
そうはっきりと思い始めたのだ。
別に今までの僕のやり方を否定するつもりはない
だけど あまりにも長すぎるこのトンネル
いつかは出口があるんじゃないかと
なにやらいつからか 他力本願にもなっていた
だけどやっぱり 誰かが答えを教えてくれるのではと待っていても
出口も答えもどこにもなかったし
頼みの綱だった"時間"でさえも
僕の悩みを解決などしてはくれなかった。
出口は どこかにあるんじゃなくて
今、この扉を自分で"開くか開かないのか" だけであって
今 ようやく そう思えるところまできた。
いささか遅い気づきにも感じられるが
人にはそれぞれ 自分のペースがあるから
全く焦ってもいないし 後悔もしていない。
僕はきっと今まで
GIDの理解者であり当事者でありながら
自らを受け入れることができなかった人間だ。
倫理的に正しくあろうとするが故に
"ホルモン治療や手術はしない" という選択を選ぶように
自分の思考や感情の向く方向を
実はコントロールしようとしていた。
自由であるがままに・・・と表面ではうたいながら
本当は自分の向かうべき方向を
水面下で日々 コントロールしていたのだ。
本当の意味で僕は
ただの一日も自由ではなかった (←えせ尾崎豊風)
そう認めざるを得ない。
だから、何度も何度も堂々巡りの文章をつづり
言い訳に言い訳を重ね
"あるべき論"で塗りつぶして覆い隠された感情の上を
さらに濃いペンキを塗りたぐり
そうやっていつしか 強引に自分の進路を決めて
さもそれが"本当の僕です" といわんばかりに
楽しく軽快な言葉を並べ
そして無意識だけれど傷ついている自分に
決して自身さえも気がついてしまわないように
僕はピエロになった
そしていつしか
一番大事なことを忘れていたのかもしれない。
"あるべき" ではなく "ありたい" を生きるということを。
僕は今思う
どうせ悩むなら 何かを成し遂げるために
そして、本当の自分になるために悩みたい
本当の自分のために悩みたい
いつの日かいずれ 病気で苦しい思いをするなら
なりたい自分に近づいたせいで せめても苦しみたい
道徳や倫理のために我慢したせいで苦しむのだけはごめんだ。
アスリートが 怪我をおして世界の舞台にたち
無茶をすれば 二度と走れない体になるかもと告知されても
"これが最後の舞台かもしれないから"
と "今の自分のために走る" そんな選手はカッコイイ。
単純にそんな生き様にあこがれる。
(もちろんこれは極端な例で、治療をして完治させてから復帰した方が良い場合はその方が良い場合もあるが)
今まで僕は "自然" に生きるということと
"天然" で生きることを 履き違えていたのかもしれない。
ありのままでいるということに 固執しすぎたのかもしれない。
ありのまま=生まれたまま に 目的がすりかわってしまっては
本末転倒だ。
別にありのままとは 生まれたままの "天然"の姿とは限らないし
生まれたままの天然が 必ずしも自然でありあるがままと一致しているとは限らないのに。
世の中にある避けたくても避けれらない不慮の事故や
一定数の奇形児の発生や病の発症など
それは 数学的な宇宙の法則からしても
仕方がないことなのかもしれない。
全員が無事出生し 全員が無事天寿をまっとうする世の中など
確率論からしてもありえないのだと思う。
しかし、そのすべての予期せぬ出来事の積み重ねが
笑いあり涙ありの ある意味人間らしい世の中を形成している
全部が同じで完璧なら
そもそも地球の存在意義すらないのは言うまでもない。
それなのに僕は あくまでも生まれたまま・・・を生きようとした。
その生まれたままを受け入れようとするが故に
本当の自分を、受け入れられなくなっていたとは気づかずに。
誰だってきっと 自然(天然)に超したことはないだろう
野菜も石鹸だってオーガニックにコダワル僕ならなおのこと(笑)
だけど今の世の中に存在するほとんどののものには
なんらかの人間の手がくわわり
人工的なエキスや要素が加わって作られたものになる。
"目が悪い人は 残念ながら車の運転はやめましょう。
歩くことが困難な人は 部屋の中だけで生活しましょう。
見えないことを受け入れ諦め 裸眼でできる範囲内のことで満足しましょう。
それ以上を望むことは我がままであり あくまで補助具なしで生きていきましょう"
極端だけどこういうことだと思う。
自然じゃないものは絶対によくない!!!
もしもこうやって誰かが豪語するならば
たった5分でよいから 自身の生活の中に
"何かしらの補助"がないかを探して見れば一目瞭然だ。
世の中に視力が悪い人がたった一人しかいてなかろうが
半数以上の人が悪かろうが
その"視力の悪い人"が抱える問題の根本は同じなのだ。
ただ、大勢だと"世の中の方からも柔軟に対応してもらいやすく
困難の度合いが変わってくる。
それだけの違いなのではないだろうか。
冷蔵庫も電気もない山の中で
裸で藁で家を作ってでも生活しない限り
人間社会で100%天然はそもそも非現実的なのだ。
そんな中
何も自分がそこまで無理して、我慢して、
一番自分が傷ついている部分を
あえて100%天然で生き抜くことに
そこまで固執することに意味があるのかどうか。。。。
最近そんな風に思えてきたのだ。
それよりもやっぱり、何よりも大事なのは バランスなんじゃないか。
天然と人口的なもののほどよいバランスとでも言うのか・・・
もっとわかり易く言うならば、
例えば僕に耳がなかったとする。(例えばかりで申し訳ないが・・)
"気にしないで、そのままでいいじゃない"
そんな言葉が 友人 知人 親や恋人から聞こえてくるかもしれない。
そしてもちろん、理解ある人 背景を知る人は
僕のことを思って 受け入れてそう言っているに違いない。
だが、本人は 外出し 町を歩くたびに
多かれ少なかれ奇異の眼にさらされ
いくら "気にしない" でいようとしたって
随時多少のストレスを感じずにはいられないと思う。
その苦痛は本人にしかわからないものなのに
周囲が "ありのままで・・・"というのは
逆に少々 無責任な発言なのではないだろうか。
つまり
たとえ失った(もしくはもともとない耳)は
聴力という機能も 健常者が持つ耳というものを
100%得るということは不可能でも
例えば"より本物に近い耳"という医療で作られた耳に似せたものや
何かしらの振動を伝える補聴器のような補助具を使うことで
たとえ健常者の1%に満たない感覚だとしても得ることができ
また
少なくとも ぱっと見"耳"があるように見えれば
普段の生活において
特に事情を知らない町ですれ違う人からは
必要以上のストレスの原因を排除することができる。
"見た目だけの偽者の耳をつけたって逆に不自然・・・・"
そんな大衆の声とは裏腹に
実際には、見た目が落ち着く ことによって得られる効果は
本人にとっても想像以上に絶大で、
かなりの"余計な悩み"を解決してくれるのではないだろうか。
根本的な"治癒"や"完治"でなくても
ある意味それは"本人"がとっくに受け入れているだろうし
誰だって何かしら悩みはあるものだから
それに関しては
"仕方がない"
だけど生き方に関してはぜんぜん
"仕方なくない"。
こんなところだろうか。
もちろん 人生の生き方として
生まれ持った障害や困難と
真正面から日々葛藤しながら生きていき、それが僕の人生なんだ!とする生き方と
それに関してはもう十分すぎるくらい 悩み苦しみ考えたのだから
補助してもらえるところは補助してもらい
この先はもう少し、できれば違うところに注力したい。
どちらもあると思う。
でも結局 性同一性障害に限らず
最後は自分がどこに着地したいか・・・・ということを定められるのなら定め
そして定めたのならそれに向けて進むのみ!
それしかないと思う。
僕は今まで なやみ苦しみ
でもどんなことがあろうとも
"治療はしない"
という着地点に、自分を押し殺してでも辿り着こうとしていた。
ぶっちゃげた話 自由に生きてますぶってる割には
自分自身が "治療する" という着地点に向かう余地は
ただの一度も与えてはいなかったのだ。
みんなが治療して 世の中が色々整備されていっても
けーじろー自身が治療することだけは
"ゆ・る・さ・な・い・か・ら"
そういつも 自分を追い詰めていたし 戒めていた。
どんだけ悩んでいる自分がいても
葛藤している自分がいても
もう限界をとっくに超えている自分がいても
"命に変えてでも 治療しない という答えを出すように!!!"
そう 呪文のように唱え続けてきた。
さて、しょっぱなから長い文章ですが(笑)
冒頭で述べた通り
まずは来月 第一回目のカウンセリングに行ってきます。
最終的な着地点がどうなるかはもちろん
依然不明な部分はありますが
"治療する" という着地点に転ぶチャンスも
"治療しない" という着地点に転ぶチャンス同様に
まずは平等に
自分にも可能性を与えることから始めようと思います。
今後とももしもお暇があれば
遊びに来てやって下さいませー ^^
P.S.
Mixi経由でメールをいただいている皆さん。返事できなくてごめんなさい。
返事は匿名で、ブログで書かせていただきます。
今しばらくお待ちください。
また、今後はご相談などある方いましたらぜひブログに書いてください!
同じ悩みの人は必ずいると思います。それに
僕以外の方からの意見もぜひ聞きたいと思いますので。
どうか!勇気を出して よろしくお願いします!!!
(といっても大した相談相手に僕はなれるとは思いませんが・・・^^;)


















![[LIKE]vol.6](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51c4oFmxsbL._SL160_.jpg)


コメントテスト
おー サイトリニューアルですね!頑張ってください。
来月からスタートなのは僕も同じです。
ありたいように生きるのは難しい事ですが、
けーじろーさんが望むように進めることを、
願っています。
リニュおめでとうございます。 (かな?!
暇じゃなくても、チェックしにきます。(*´∀`*)b
サイトリニューアルおめでとうございます!
最初のほうからけーじろーさんのブログを読んでいたのですが、
最近のけーじろーさんの日記を拝見していて、
3年前と比べると、
「随分と心境の変化があったのだなぁ…」
と感じています。
次のステージへと進んだ感じ?というか。
治療するとかしないとか以前にきっとやっぱり何か、
けーじろーさんの中で何かが変わった(悟った?)
ような気がします。勿論良い意味で、です!
上手に説明できなくて(しかも勝手な解釈で)すみません…。
私の彼はまだまだ治療については具体的な予定はありませんが、もしかしたらいつかそのような時が来るかもしれません。
彼には、最後後悔なんてして欲しくないので、
彼がもしも治療を望むなら応援したいと思っています。
これからも覗きにきます。
そして、応援しています。
jyokkaさん
いつもありがとうございます。なんか僕もうまくは説明できないですが、その人にとっての“その時”ってあるような気がします。時は今しかない!Now or Never みたいなことを言ってる自分にとっては矛盾してるんだけど、今までやらなかったのはその時はまだその”今”じゃなかったわけだし、過去の自分に戻って何かをしたいとはあまり思いません。彼が治療を考えるか考えないか、いつになるかずっとないかはわからないけど、そんなときにjyokkaさんが一番の理解者・・・でなくとも “応援者”でいてくれたら、きっと彼は最高に幸せだと思います。これからもヨロシク!
リヒトさん
同じタイミングでのスタート。お互い情報交換もかねながら、よき相談相手としてもよろしくおねがいします!!!!!
りこさん! いつきても満足いただけるブログ・・にはまだまだ程遠いですが、相変わらずマイペースでやってきますのでよろしくです(´∀`)