精子バンク・・・代理出産・・・人口受精
最近このような言葉を良くテレビでも耳にする。
もちろん CNNのように
Homosexuality とか Same Sex Marriage は
都知事選が近いというのに ほっとんど出てきませんが(笑)
まあ それはさておき
先月芸能界を引退された 飯島愛さんの
"精子バンクで出産考えた。 ハーフがいいなぁ・・・“
“若い卵子を保存すると20万くらいかかる・・・“
というTBS系のサンデージャポンでの引退特番での発言と
向井亜紀さんの 出生届は不受理 !
というニュースが最近では目だったところだろうか。。。
ここでの判決は
「民法の解釈では、代理出産で生まれた子の母は出産した女性で、卵子を提供した女性ではない」と、
生みの親が母親との判断を初めて示した。
これについて、
僕の見解を述べることは安易な発言はしたくないので
今日は省略するが・・・
(てかそもそも、裁判すること?みたいな気持ちもあるが・・・)
正直な所、
最初に向井さんが代理出産のために渡米したと知ったとき、
僕はそこまでして自分達の子供が欲しいのか。。。。
どうして養子をもらおうとしないのだろう。。。。
困っている子供たち、
既に生を受けて家庭を望んでいる子はいるのに。。。。
そう思っていなかったと言えばうそだ。
だから、本当の所、
当初は心の底からは応援できていなかったというのもある。
しかし
人は変わるし 考え方も変わる
それは自身のGIDの治療に関してだってそうだし
世の中や様々な物事に対する味方もそう。
それが生きている = 変化し続ける
ということの証。
以前、僕がサンフランシスコの不妊治療の会社で
働いていたにもかかわらず
そこまでして自分達の "遺伝子”を継承することや
"子供を持つこと=幸せ” と信じてやまず!?かは知らないが
大金をはたいて
不妊治療にこられる方のことを少々滑稽に思っていた時期もあった。
彼らを笑顔で案内しながらも
丁寧な運転で空港と病院の送り迎えをしながらも
僕は生意気にも心の中で
“執着を捨てろ!!!“
“固執するから余計生まれないんだよ!”
“人類みな兄弟だろ!!”
“本当に愛情があるなら養子でも育てられるだろ!”
などと”
と糞生意気に心の中で思っていた時期もあった。
だけど
だけどね
僕だって 自分の遺伝子を持っている子供なら
当たり前だけど欲しい!
もし愛する人との間に生まれる子なら
その何百倍も欲しい!
これは多分理屈や道徳や倫理や理性とか抜きの
もう こればかりは
どうすることもできねー
パッションですよ念
でも多分
僕はそれまで女の人しか愛せなかったし
僕の肉体は生物学的には女で
あいにく 精子をプロデュースしてないし廉
まさか体外受精や人工授精 代理出産なんて
自分の親や相手の親には口が裂けてもいえないだろうし・・・・
っていうところからの
もしかすると諦めの境地にいたからこそ
“遺伝子にはこだわりません獵"
なーんていう
さも理想的な
さも革新的なサンフランシスコの大学で教育されてきました的な
非保守的な発言をしていたのかもしれず・・・
本当のところは
そうやって美しい言葉や新しい考え方にでものっからないと
やってられないくらい本当は辛くて
それで
そういうことにして無理矢理
“解決”
させていたのかもしれない。
あーー いつになく
わっかりづれー 文章(笑)
だって
やっぱり
できることなら
子供は欲しいし秊
好きな人の子ならもっと欲しいし
二人の遺伝子を一気に埋め込むことは無理でも
いっしょに育ててくれる人がいるなら
家族を持ちたいし
それらを守るために
必死に働きたい!
それが僕にとっては
何よりの生きがいや
働く意味になっていることに
実は最近気がついてしまって。。。。
守るとか守られるとか
養うとか養われるとか
そういうの はーーー?とか思うようにして生きてきたけど
僕 魂はかなり
実は古いので(笑)
本当のところ
好きな女と子供を養いてー!
とか思ってたりするんですよ(^^;
(え?その収入で?とか突っ込まないで下さい・今は)
だからかな・・・
向井さんのニュースを聞いたときも
彼女の知名度
彼女の影響力を考えたときに
自らに浴びせられる批難をも省みず
自分のできることを最大限頑張って
何かしらの突破口を開こうとしている姿をみて
別に代理出産が 体外受精が
誰の卵子だ 誰の精子だ
というのとはまったく別の意味で
本当に応援したくなった。
というか 凄い!と思ってしまった。
賛否両論は物事にはつきもの。
特に伝統に挑戦するときは時間も労力も周囲の賛同も必要になる。
しかし
みーーーーーーーーんなが
今までどおり
大多数のとおり
を続けている限り
ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと
なーーーーーーーーーーーーんにも変わらない。
それって
いい悪いじゃなくて
バランスが悪いっていうか
単に
無理なんじゃない?
とか思ってしまう。
だって過去の歴史を見ても
変わりつつ変わらない
変わらなそうで変わり続ける
みたいなのの繰り返しだし。
病気にしても何にしても
次から次に何かしら生まれてくる。
一つ解決するとまた次に何か沸き起こって
ほんと いたちごっこ。
だけど それぞれの場所に
それぞれのポジションで生まれてきて
唯一できることは
それを全うすること。
そこで 生きてくってこと。
そして
それを楽しめるだけの
ツールを
実は持ち合わせているのだろうということに
気付けるか気付けないかという違いだけ。。。
なーんちゃって。
かっこつけすぎた。
俺の大嫌いな
細木かずこ様は
あいもかわらず
女は 生む (家を守る)
男は 狩に出る(外で働く)
のが本能で 幸せと Smapのスマスマあたりで
昨日もおっしゃっていましたが
確かに僕は細木先生のお考えには腹が立つこと
多々あります。
でも
多分僕のブログを読んで
ヘドロが出そうな人たちと同じような気持ちを
きっと僕は彼女に抱いているのだろうけれど
それってもしかすると
それだけ
“むかつく分 気にもなる”
っていうのがあるような気がして
どういうことかと言うと
最近は自分の中に
まるで
右翼と左翼がいるような (←今日はどうも政治的)
ってか 誰でもそうなんだろうけど
理性と感情があるのといっしょで
男性と女性の部分を持っているのといっしょで
なんか
何かを思ったり考えたりしているときって
自分の意見や見方 価値観はもちろんあるんだけど
だけど同時に
矛盾してるかもしれないけど
その逆も同時に存在しちゃっているのではないか・・・
と
そんな風に思い始めました。
ややこしいっすね。
すみません。
もっと簡単に言うと
遺伝子とか男とか女とか
こだわらないで執着しないで
気持ちとか愛情とか思いやりとかで
男女関係なく幸せに自分らしく生きて生きたい
と思うと同時に
自分の遺伝子を持った子供はやっぱり欲しくて
できれば自分は男らしくありたいし
彼女には女らしくいて欲しくて
割と古風な昔ながらの幸せのカタチで生きて生きたい
とも思っているわけで。
これってすごくないすか????
自分的には
けーじろー 不思議発見列 な世界なわけで
だけどすげー楽になった。
両方思っててもいいじゃんか!
って。
するとますます他人を批難する意味もなくなるし
違う意見を批難する意味もなくなった。
そんな気がする今日この頃です。
最近テレビで話題の橋下弁護士。
細木の次に嫌いな人(てことは気になってるんだろね~)
もうすぐ子供が7人目?できるとか(^^)
“女は女らしく 男は男らしく“
という子育ての方針らしいが
確かに僕はこれを幼少の頃求められたら辛かった。
だって、女らしさを求められるたびに
気が狂いそうだったから。
なんで僕が女なの??? って。
だから自分の子にはしまいと思った。
もちろん今でも
その子らしく!
自分らしく!
が基本のつもり。
というかそれ以外は興味ない。
だけど
彼女になる人には古き良き時代の女性らしさを求め
自分は日本男児としての美学を貫きたい(笑)
とも同時に思っているわけで
こりゃもう
収集つきませんな(^^)
僕だけかな
こんなのは(!?)
さ、
人生初!
選挙に行って来ますか!
P.S.
飯島愛さん!
芸能生活お疲れ様です!
もしシングルマザーになられたら
めちゃめちゃ応援したいです!
ああいうのサラーって言える愛さん
そして
その裏にある本当の思いと優しさ
伝わる人には伝わっていると
僕は思います。
ありがとうございました。



















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初めまして。代理出産までする方は、どうしても血の繋がる子が欲しいのかな。私は好きな人と、仲の良い兄弟みたいな関係でいられるだけで幸せ。人それぞれなんですね、幸せ、理想の形。
ではまた。
僕は子アリFTMなので割と(それだけで)非難されることも多いですが・・・。
子ナシ、未婚のFTMを(自由で戸籍も訂正できて)「羨ましい」と思う反面、自分の子どもを持てた喜びは何物にも変え難く、それができない(若い)FTMの方々を「(遺伝子学的に)親になれない寂しさがあるんだろうな」と憂いてみたり。
人間というのは相反する感情(思考)を持ちつつ、心の均衡(バランス)をとっているのかも知れません
初めまして、真下と申します。FTMです。
今までも何度かこのブログを拝見していました。
けーじろーさんの仰る、二面性というか自己矛盾というか…は凄く良く判ります。
自分もそうで、「男らしさ・女らしさ」を他人に要請する事を絶対的正義と信じている人を見ると唾棄したい思いに駆られます。
しかし一方で、電車などで女性が(たとえスカートでなくズボンであっても)足を開いて座っていたりしたら好い気はしません。
ですがこれは、辞書には「アンビバレンス」という単語で載っている状態なのではないかと思います。って違うかな…
例えば私は、凄く好きな人がいると(恋愛でも友情でも)、その相手のことを同時に凄く憎んでもいます。「ある瞬間ふと憎しみが沸く相手こそ本当に好きな人」という、ある種の判断基準にしているほどです。
本文中にある「むかつく分 気にもなる」という言葉は非常に的を射ていると思います。マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく、無関心」と言いましたが、その通りなのでしょう。
結論として何が言いたいのか判らなくなってしまい申し訳ないです。とりあえず、とにかく共感した!と伝えたくて書き込みました。
それでは…
↑マザー・テレサの言葉は知りませんでしたが全くその通りですね!私も恋愛において、嫌いは好きになり得るけどフツウは実は好きに一番遠いかもって思ってました。そういえばキライだったはずの人と付き合ったり、一番ケンカした友達が今ではほぼ家族って程親友だったりします☆
けーじろーさんのファンです。今日のブログを読んで、ひとつ質問が浮かんだのでここに書かせてもらいます!もし自分の子供(血のつながり有無関係なく)が男の子だとして、キティちゃんや女の子のアニメなどの物を欲しがったら買いますか?自分らしくと言いながら、僕は買えないかもしれない…
>れーさん
横レス失礼します。
自分なら買ってあげますね、多分。
寧ろ、「よく言った!」とか言って喜んで買うかも。子供ながらに、そう言うのは勇気がいると思うし…。
しかも男の子が女の子のおもちゃを欲しがるとなると尚更。逆ならありえるのに妙な話です。
まぁ、それで友達からからかわれたりするかもなという心配はしますが。
「お前にゃ聞いてねーよ!」って感じですが、こう思う奴もいるという事で…失礼しました。
泣きました。
私の初めての彼もそうだったけど、どうしてFTMの人ってこんなに深いんだろ。
私も彼と幸せになりたかった。
けーじろーさんと彼女さんがずっと幸せでいるのを祈ってます。
お二人が幸せでいてくれたら、15年前の泣いて苦しんで別れた当時の私と彼の涙が報われるような気がします。