ハーラーマン ストライフ症候群
未だ詳しくは解明されていない病気だ。
今日はその方を取り上げていた番組を見た
先天性の病気120cm程度しかない母体で
どうしても愛する夫との愛の証が欲しいと願う
ある女性のお話だった
髪の毛も薄く
体も小学生低学年並みに小さい彼女
視力も限られている
しかし彼女の明るく前向きに生きる姿は
全くと言って良いほどハンデを感じさせない
そんなひたむきで努力家の彼女だからだろう
誰もが無理だろうと思っていた
結婚という 一つの願いを叶え
今は優しい旦那さんの愛に包まれ
幸せに暮らしていた
旦那さんも障害を持っているが
本当に優しい素敵な方だ
きっと彼女自身も
まさか結婚できるとも思っていなかっただろう
僕の悩みや
僕自身というものが
本当にちっぽけだなと
感じざるを得ない程
決して恵まれているとは言えない体や
健常者なら普通にできることでさえ
諦めざるをないことが多々ある中で
その中で精一杯のことをし
そしてその障害を言い訳にすることをしないで
いや
むしろ健常者の人たちよりも
ぜんぜん強く
そして
ぜんぜん優しい
そんな夫婦の姿に
僕は心底 心をつき動かされた。
だけど それと同時に
つくづく人とは
ないものねだりなもの
そして
無条件に欲張りなんだ
とも実感した。
彼女はとても子供を生めるような体ではない
生めたとしても 彼女の命を脅かすかもしれない
だから彼女の母親は
旦那さんと二人で支えあって
仲良く暮らしてくれればと願う
それがきっと
母の娘に対する愛
だけど
結婚という一つの欲望が叶った今
彼女は既に 次の欲望を抱かずにはいられない
愛する彼との愛の結晶が欲しい・・・
そして今の彼女は
それこそが 女の究極の幸せだと
信じてやまない様子だった
孫の顔を見ることよりも
娘を失うことのほうが嫌だと言い切る彼女の母
たとえ自分の身を犠牲にしても
女で生まれたからには 子供を生むことが
何よりの幸せだからと一歩も譲らない彼女
母親として譲れない 娘を思う心
そして
女として譲れない思いが激しくぶつかり合う
両者の気持が痛いほど伝わってくる
お互い
大切な人を思うが故の
譲れない思いなのだ。
その思いが時として重ならないなんて
なんて世の中とは皮肉なんだろう
そう思わずにはいられなかった。
子供が生めないという状況だと
人は尚更
生みたくなるのだろうか・・・
それは僕だって同じだ。
無理だとはわかっていても
多分死ぬまで
僕は父親になりたいと
思い続けるだろうから
いつでもできると思うことは
今日やらずに
明日・・・明後日・・・・と引き伸ばして
気がついたら やらずに終わってたなんてことは
人生の中でよくあること
だけど
可能性は限りなく少ないです
とか
多分無理でしょう
とか
今日限りです
とか言われると
それまでなんとも思ってなかったことでも
意地でもやりたくなる。
無理なら無理なほど
意地でもやろうとするのは
人間の本能なのだろうか
一緒にするのはどうかと思うが
僕は現実として
女の体で生まれてきた。
つまり どう足掻いても
男にはなれない
しかしこれも
男にはなれないという現実があるが故に
男で生まれてくれば良かったという思いが
より一層 強くなっているのではないかと。
かつて不妊治療の会社で働いていた時に
子供ができないと言われた夫婦達が
人生そのものをかける勢いで
なんとしてでも子供を欲しがっていた姿を思い出した
無理もないことだろう・・・
僕なら女だから諦められることでも
仮にも男と女だったら諦めきれないのだと思うから
無理だろうと言われた結婚もして
素敵な旦那さんもいるけれど
それだけでは満足できないのが人間なのだろうか
支えてくれる人がそばにいる
全ては手に入らなくても
今あるものに幸せを感じて
支えあっていきていく
それだけで満足することは
そこまで難しいことなのだろうか
番組の終盤で同じ障害を持つ女性が登場した。
その方は 彼女より少しからだが大きかった為
無事に子供を生めていた。
夫とは出産後に別れたそうだが
本当に母親思いのいい息子さんだ
自分のことをダメだという母に
自分のことダメって言っちゃだめだよ
そうしたら本当にダメになっちゃうよ
とけなげに励ます小学生の息子。
同じ病気の人が
子供を生んで育てている。
それもこんなにいい子に育っている
その現実を目の当たりにした彼女は
勇気や希望をもらうと同時に
自分もそうしたいという欲望にかられたことだろう。
僕は人にとって
何が一番大切で
どうすることが幸せかは
残念ながら わからない。
わかりようがない。
それはその人にしかわからないし
その人にしか選べないことだから。
今あるものに かけがえのなさを感じ
与えられた情況の中で 精一杯の可能性を見つけ
満足して幸せを見出して生きていくのも人生
次々に沸き起こる欲望や願望を
少しでも実現したり 近づくために
開拓していくのもまた人生
どっちがいいとか
悪いとか
そういう話ではないと思う
だけどただ一つ言えることは
全てを手に入れることは無理だということ
多分生まれてきたときに
人はそれぞれショッピングカートを持っていて
色々入れていくけれど
ずっと入れ続けたら いつかは溢れてしまって
気がつかないうちに
ずっと前に入れていた下に隠れていたものが
気がつかないうちに 底の方から落ちでなくなっていたり
一番上に積んでたものが
目の前からあっという間にころげ落ちたりする
人生のショッピングカートは
全部は入りきらないように
できている気がする
いっぱいになったショッピングカートを見て
これだけあれば十分だ!
とその中で楽しく生きてもいいだろうし
もう少し積めるかもしれない
もう少しいいものがあるかもしれないと
チャレンジし続けるのもまた
一つの生き方なんだと思う。
僕自身 自分がどっちかはわからない
一生わからないかもしれない。
だけど
今日という日を
今という時をおろそかにする生き方だけは
したくないと思う
最近気がついた面白いことがある
人はないものねだりだから
私が欲しいものはどこにもないわー!
と嘆く。
nowhere !! (どこにもな~い!)
だけど よーく考えてみると
そんなものは結局どこにもなくて
実は本当に欲しいものや必要なものは
もう既にここにあるものだったりする
Now Here!(今ここに)
nowhere と
now here
区切りが違うだけで
同じつづり。
見方を変えれば同じじゃないかと。
つまり
どこにもないない!!って探しているものは
紛れもなく今ここにあるものということなのではないか・・・
逆にいえば
今ここにあるものは
他のどこにもないということじゃないかと思う。
僕にしかできない事があり
僕には決してできない事がある
だけど
ひょんなめぐり合わせで
僕の人生のショッピングカートに入っている
人や物、状況や気持ち
全部が大切で
全部が無駄ではないはず
日々知らず知らず入れ替わっているのだろうけれど
改めて大切にしていきたいと思った
今を大切にすることが
僕自身の人生を大切にすることなんじゃないかと
思った今日この頃でした
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