先日FTM当事者様より
興味深いコメントを頂きました。
コメントはこちら
なので、それに関連して
今日はまじめに書いてみようと思います。
まずは
貴重なコメントありがとうございます。
実は、こういうコメント待ってました!
というのが本音です。
というのも、変な話かもしれませんが
僕のブログを読む人皆が僕に共感するほうが不自然だし
むしろ反対意見だったり
違う考え方を持っている人からのほうが
色々学べたり考えるきっかけを貰えるときが多いからだ。
だから、率直なご意見を頂けたことに
本当に感謝しています(^^)
もしも僕がブログをやっていることに
何らか意味があるのだとすれば
少なからずこういうところにあるのだと思う。
FTMと呼ばれている人たちの中にも
当然様々な考えや立場、状態や境遇の人がいて
一人一人の FTMという言葉に対する
解釈も、とらえ方も、使い方も、定義も微妙に異なると思う。
その中には
自分なりに模索していくうちに
自分はFTMではないか・・・と思っている人
医師から診断されて治療している人
診断があっても治療しない人
性別違和を覚えながらも、障害だとは捕らえていない人
あげたらキリがないくらい
様々なパターンがあると思う。
僕も昔、
まだ“性同一性障害”とか
“FTM”という言葉がまだまだ一般的ではなく
そういう概念すらなかった時代
自分というものを表現したり説明したりする際に
“同性愛者”とか“バイセクシャル”とか“レズビアン”
といった語句を使っていた時期があった。
だけど、それらの言葉には
どこか違和感を覚えていた。
違和感を覚えたきっかけは、
僕のまわりにいた
ゲイやレズビアンの人達が
必ずしも 反対の性に生まれてくれば良かったとか
女らしい言葉を使っていても
男であることに嫌悪感がなかったり
男っぽい格好をしていても
別に女であることに問題はなかったり・・・
つまり生まれた自分の性別のまま
その同じ性別の人を好きだという人たちに
多数巡りあった。
僕は最初
ゲイやレズビアンの人たちは
皆、反対の性になりたい人たちたけだと思っていた。
自分がそうだから、きっとまわりもそうだ・・・
みたいな安易な発想なんですけど(^^;
だから、
男として男が好きとか
女として女が好きとか
むしろそっちのほうがなかなか理解できなくて
何度も何度も聞いた記憶がある。
本当に女になりたくないの?
本当に男になりたくはないの??? と。
僕自身、確かに生物学的女性として、
女性を愛しているのなら
生物学的には同性愛であることに間違いはない。
だけど
自分は なんとなくその頃から
“同性愛者”ではないような・・・
そんな気がしていた。
そして、ある日
僕の場合、体は女ではあるけれど
心は男として、女性を異性と解釈した上で、
女の子が好きなんだ・・・
頭の中は 異性愛じゃないか!
そう気が付いた。
そんなある日、
性同一性障害という言葉と、その概念に出会った。
僕はこれだ!!!!
と心の底からうめき声をあげた感覚を覚えている。
何年も何十年も探していた
言葉では表せなかった感覚。
言葉で説明したくても
相応しい言葉が見つからずに
“僕は間違って女に生まれてきた・・・”
そう説明するのが精一杯だった
そんな自分にとって
まるでガッツポーズをしたくなるような
そんな言葉との出会いだった。
性同一性障害という新しい言葉と概念との出会いは
僕にとって、まるで長年探し続けていた
難題の答えを見つけたような
そんな感覚だった。
やっと僕のモヤモヤが説明された・・
僕の存在が世の中に認められた・・・
こんな感じだったと思う。
だから、最初の頃は、
早く治療のガイドラインがより明確なものになり
一日でも早く 治療したいと願っていたし
アメリカでも大学で授業を取ってまで真剣に勉強した。
一日でも早く、女の体を脱ぎ捨て
本来の体に戻りたいと切実に願った。
いつカミングアウトをして
いつ治療を開始して
そしてそれに一番いいように
自分の人生設計や就職の時期を選んで…
不安もあったけれど
夢と希望の方が大きかった。
だけど、
色々なことを知れば知る程
治療の副作用以外の面においても
進んでいっている方向性や世の中の認識などにおいても
様々な矛盾も感じるようになった。
本当に本当に
僕が治療をすることで
この問題は解決するのだろうか。
僕が僕個人の体をいじることが
果たして一番良い結論なのだろうか・・・
他に解決策はないのだろうか・・
完璧な男の体を手にいれられないのに
彼女との子供ができるわけではないのに
本当に治療がそんなに大事なのだろうか・・
そんな思いを抱えながら
治療する
治療しない
治療する
治療しない
という葛藤を
何往復も
何十往復も
何百往復も
何千往復もして
10年近い歳月がたった。
そして 恥ずかしい話だが
結論は10年たった今も出ていない。
もし今、
この時点での結論のようなものを
無理やりにでも言葉にして表現するとすれば
以下のような結論なんだと思う。
僕が女の体のままで生きていくことは
非常に苦痛で 未だに耐え難いことだけれど
できればホルモンやメスといった外科的治療法ではなく
気持の方をうまくコントロールして
精神的苦痛を軽減して
生まれたままの体で
性自認という枠や概念にとらわれないで生きていけないか。
治療をして、少しでも心の性と体の性を近づける選択は
一つの選択枠と尊重し、それを選んだ人を応援しながらも
違う選択を選んだ人も、その人生を堪能し桜花できるような
そんな世の中というのは
そんなに非現実的なことなのだろうか・・・
こんなことを考えている段階なんだと思う。
相変わらずわかり難い文章で申し訳ないのですが(^^;
こういうわかりにくさ
説明のできなさ
未だに決められない何か
煮え切らない気もち
良くわからない葛藤
こんな自分の中の全てが
僕のブログになったんだと思う。
FTMとは Female to Male (女性から男性)の略語で
性同一性障害のうち、 出生時の生物学的性別が女性で性自認が男性の人物を指す。
性同一性障害(せいどういつせいしょうがい; Gender Identity Disorder)とは、精神疾患の一つであり、精神的には身体的性別とは反対の性に
属するとした方が自然であるような状態の事である。
辞書の上ではこう定義されている。
そして、
このような言葉が世の中で一般的に知られ
少しでも関心を持ってもらえるようになったことは
心から喜ばしいことであり
偉大なる進歩だと思うし
昔から活動をしてくださっていた
先駆者達の功績に他ならない。
そして現在
このような言葉で
きちんと自分の存在や状態を定義され
医師に診断されることで
安心して治療ができ
体を心に近づけることが可能になった
戸籍でさえ 名前でささえ
合法的に変更できるまでになった。
まるで夢のような話である。
また、それと同時に
それとは違うことを感じる人もいる。
一定の言葉やカテゴリーの中で
きちんと定義されないことを
心から望む人もいるだろう。
どっちがいいのかわからない人も
たくさんいるだろうと思う。
僕は実はそういう所に
世の中の面白さや
人の奥深さを見出し
そこが生きていくことの豊かさだと思っている
だって
どっちが正しいとか
間違っているとか
そういうことがテーマではないはずだから。
僕自身
治療をするか迷っている今
治療をせずとも何とか生活できている今
限りなく性自認は男なのに
特に男性に見える努力もせずに
ちゅうぶらりん状態で生活している今
いただいたコメントの通り
僕がFTMを名乗ることも
性同一性障害を名乗ることも
筋違いなのかもしれない。
僕は
意気地なしで
はっきりしないで
煮え切らないで
意思がなくて
あいまいで
中途半端な奴だ。
当然FTMの人たちの中には
僕のような存在が迷惑だと思う人がいると思う
それは100も承知だ。
でも
だからこそブログをはじめた。
何かを訴えるためでも
自分をわかってもらうためでもなんでもない。
ただ僕がどうしていいかわからなかったから
何も決められないでいたから
僕の心の中の全てを
言葉にして整理してみたくなった。
それと
もしかしたら
僕みたいな人も
案外多いんじゃないかという
僅かな期待もあっただろう。
心と体の性を一致させないで
あいまいな状態で
それでも何とか生活できている僕は
性同一性障害じゃないなのかもしれないし
ただ単に意気地なしなだけかもしれないし
無駄に我慢強いだけかもしれないし
諦めて開き直っているだけかもしれないし
現実から目を反らしているだけかもしれない
もちろん今だって
言葉ではいい表せないくらい
女の体である自分に対し嫌悪感を抱くし
胸を張って、自信を持って
街を歩けた試しなんて
ただの一度もない。
今だってできることなら
男の体になって
堂々と生活をしたいと毎日考えている
むしろ
この事を考えないで眠れた夜など
ただの一度だってないくらいだ。
好きな相手から
女の体である僕を触れられたとき
僕がどれだけ悔しくて
どれだけ悲しくて
どれだけ虚しくて
どれだけ逃げたいか
それはきっと
FTMの人なら
少なからず察することのできることだと思う。
今ここで
僕が自分の体にどれだけの嫌悪感を感じ
どれだけ悩んできたかなんて語っても
意味はないけれど
一つだけ言えることは
僕は 今日という日まで
なんとか女性の体のままで
生きてきているという現実。
そして
どんなにどんなに女であることが苦痛でも
ありとあらゆる要素、治療のリスク、
性同一性障害の原因などを総合的に考えた時に
現時点では治療をするという方向に
踏み切れていないということである。
その結果として
FTMを名乗るな!と
言われても無理はないと思う。
ようやくカウンセリングを受けたり
治療を開始したり
カミングアウトしたり
副作用に耐えたりしながら
様々な葛藤と苦悩の後に
心と体の性を一致させようとしてる人たちに対して
僕がこんな中途半端であいまいな内容を
ブログの文章として書くことは
本当に本当に
申し訳ないと、本当に思うからだ。
治療ガイドラインがどんどんできあがり
世の中がFTMという存在を認めつつあるなかで
僕みたいな人間はきっと
大迷惑な存在だと思う。
だから何を言われても
何を思われても
仕方がないと思っているし
当然のことだと思っている。
だけどそういった世の中の流れの中で
僕のように迷っている人も
少なからずいるのではとも思う。
今の僕は
正直に言ってしまうと
自分の名前以外
特に何も名乗る必要がないのではと
そう思っていたりもする。
人は10人10色
それなのに
限られた語彙の中に
全員を上手く格納するなんて
無理なんじゃないかなって思う。
自分の素性を説明すつときに
FTMって知ってる?
と聞いてみて、わかり易く説明することはあるが
自分が100%その定義に当てはまると言ったことはない。
世の中で一般的に使われている語句の中では
より自分を表現するのに適切な言葉だと思うから
相手がよりイメージを沸きやすくするために
言葉を引用することはあっても
僕を100%適切に 完璧に表せる言葉なんて
ないはずだから。
きっと昔の記事にも書いた気がするけれど
今の僕は
レズビアンと呼ばれようが
タチと呼ばれようが
バイと呼ばれようが
FTMを名乗る偽者と呼ばれようが
全くと言って良いほど構わない。
もちろん昔は
違う!!!
とか言って喜怒哀楽を出して
論争していた時もありました(^^;
だけど
FTMだと自認していても
病院でFTMだと診断されたとしても
体にメスを入れられず
生まれたままの体で
生きていくことしかできない
または
あえてそう生きている人たちは
確実にいると思う
僕は女子便に行くとき
いつも申し訳ない気持ちでいっぱいだ
当然僕は
男女共用のある店をできるだけ選び
人の少ないトイレを選ぶようにして
膀胱炎寸前までトイレを我慢し
誰もいないようなら障害者用のトイレに行き
できるだけ誰にも
迷惑をかけないように
しているつもりだ。
僕は人に迷惑をかけるのが
死ぬほど嫌いだから。
僕の存在が迷惑でないか
極限まで気を遣って生きている。
それは僕が
超自分中心な人間だからだ。
自分のために
人に迷惑をかけたくないのだ。
僕は男装もしていないし
胸も潰していない
背だって小さいし
男みたいな髪型はしていて
ガニマタだけど
決して無理に男らしくしようとしているわけではない。
自分らしくありたい
そう思っているだけだ。
むしろ現状は
女にちゃんと見えるように
女らしくすらしているかもしれない(笑)
十代のころは
男性として扱ってほしい!
と言っては
女扱いされればカッとなって言い合いもしたし
一人でいじけたりもした。
自分を理解してほしくて
無理やり押し付けがましいレクチャーもかました。
でもそんな僕の過去を恥ずかしいとも思わないし
そういう過程は大切だったようにも思う。
今のこの中途半端な生き方も
正当化するつもりは全くないけれど
自分の心の弱い部分もずるい部分も全部ひっくるめて
できるだけ思ったままを
このブログで表現しているつもりではいる。
僕は今、自分に彼女がいることも
女性が好きなことも
こんなブログをやっていることも
誰にも隠していないし
会社でもありのまんまだ。
僕は僕
それ以上でも以下でもないから
僕の実際の定義は
皆に一任している。
僕があえて自分に定義をつけて
教えることもないし
僕についてどういう風に扱って欲しいとか
どういう存在だと見て欲しいという
リクエストも
一切誰にもしていない。
だって
僕にとっての僕は
僕が見た僕でしかないし
相手にとっての僕は
相手が見た僕でしかないから。
自分自身が自分自身を定義したり
自分自身を評価したりすることって
実はあまり意味のないことだと
最近つくづく思う。
僕という存在は
誰かに 何かしらの形で受け止められて
はじめて存在するのだから。
つまり
他人がどういう風に 僕という人間をとらえるかは
最終的にはその人にゆだねるしかないのだと思う。
僕がいくら
FTMです!
性同一性障害です!
といっても
女にしか見えない人もいるだろうし
認めたがらない人もいるだろうし
僕が
レズビアンです
といっても
FTMにしか見ないひともいるだろうし
僕を異性愛者だと思う人もいるかもしれない
でもそんなことは
たいして重要ではない気がするのだ。
髪の毛は短くて
立ち振る舞いも男っぽく
化粧もせずに、決して女性らしいとはいえないけれど
生物学的には100%女として機能していて
声だってハスキーだけど
カラオケで女の歌もバリバリ歌える(笑)
胸だって潰していないし(大してもともと大きくはないけど)
身長だって156位しかない
その、
僕のありのままの姿を見て
女と判断するか
男と判断するか
中性ととらえるか
FTMととらえるか
はたまた
人としてだけとらえるか
けーじろー という一人の人間としてとらえるか
それは人それぞれが決めることで
僕が決めてあげることもできないし
僕が決める必要もないと思う
世間が定義する
男か女。
どっちかにはっきりと見え易いように
この2分法にきっちりと当てはまるように
僕が自分の格好も見た目も立ち振る舞いも
配慮する必要が
本当にあるのだろうか・・
女子便で驚かれて嫌!?な思いをした
と確かに書いてはいるけれど
彼女を攻める気持ちからいっているのではないし
彼女に非がないのは
僕自身が一番良くわかっているつもりだ。
彼女の脳裏にある
“女性”というもののイメージとはかけ離れる人物が
女子トイレ内にいて
とっさに男子便に来てしまったのではと
何度も何度も確認する。
当然の行為だ。
明らかに悪いのは彼女ではない。
男はこういうもの
女はこういうもの
こういう固定概念を
無意識のうちに
生まれたときから植えつけられていたら
一瞬僕を見たときに
“ギョっ”としても仕方はあるまい。
その反面、
僕のことをどっからどう見ても
女にしか見えないという人もいる。
人の視点やものの捉え方というのは
本当に千差万別だ。
もともと男に見えるように努力し
体も男にしようとしてた人間だ。
男に見られて嫌なわけはない。
嫌というよりむしろ やや嬉しい気もする。
ただ、現在は
無理して男装もしていないし
むしろ 少しばかりは女に見えるように
配慮しているにも関わらず
わりとしょっちゅう男だと認識され
日々街で風俗に勧誘される自分に
ある意味で驚いているくらいだ。
何で素の自分で男に見えるのだろうと(笑)
僕は別に
“男”を演じているわけでも
“男”に見えるようにしているわけではない。
むしろ今は逆だ。
トラブル回避のために
女に見えるように努力しているくらいだ。
でも
もしもだけれど
そういう概念がなくて
生まれたからだの性別にまったく関係なく
どっちがどう行動しても
何を好んでも
何を着ても
何をしても
もし ぜーんぜん平気な世界だったら
僕は自分を
間違って生まれてきた・・・
とさえ
感じる必要すらなかったのじゃないだろうか。
いや わからないんですけどね(^^;
こればかりは・・・
世の中のありかたに関係なく
体に違和感を覚えていたかもしれないし
治療を望んだかもしれない。
同性結婚が合法で
履歴書に男・女だけでなく 第三の性という欄があっても
自分は男に○をつけたかったかもしれない。
だけど
そんなことは
あまり重要じゃないのかもしれない。
僕にとっても
世の中にとっても。
全ては仮説でしかないから。
どっちでもいいんです。
でも、実際に
現実問題として
僕のように
女子便行っていいものか
男子便行っていいものか
って
すごい小さいことだけど
そういうことで悩んでいる人はいると思うし
大事なのは
そういう人もいるってこと。
それを理解をする必要はないけど
知るということ。
そしてそういう人が現実にいるということを
認めること。
好きになる必要も
共感する必要も
理解する必要もない。
だけど存在しているということ。
恥ずかしい話だけど
僕は女子便に行くことに気がひけながらも
男子便に行く勇気もない。
さらしを巻いて 男を演じて
男子便に入る勇気はない。
だけど
髪を伸ばして
スカートを履いて
化粧をして
女子便に自分を合わせるつもりもない。
世間的にスタンダードとされている
男像にも女像にも
当てはまらない生き方を
自分勝手だとは思うけれど
それが自分なら貫くしかないような
そんな感覚でいる。
もちろん極力迷惑はかけたくない。
だけど
トイレには行きたくなるんです。
行かないと病気になっちゃうんです。
こんな小さいことだけど
どっちにもいけない僕は
こんな事ごときで
本当に生きていくのが嫌になることだってある。
>>>「FTM」という言葉を使うのは構わないのですが、
自身がそう思っている以上、中途半端なことはしないでくださ
い。
おっしゃる通りです。
僕は本当に中途半端なやつなんです。
情けない・・・
誠に申し訳ないと思っています。
だから誰かに
FTMの恥だ!
そういわれたって仕方ないし
FTMと認められなくても
仕方のないことだと思っています。
僕がFTMという言葉を借りさせて頂いている
たった唯一の理由は
今存在する限られた言葉の中で
より一番それを表現するには一番近いものだと思ったから。
そして、
僕のような人も
一度はそう自分を疑うであろう言葉だから。
誰が聞いても使っても
全く同じものを意味する言葉なんて
実はそんなにないんだと思う。
だから
悩むし
FTMの方々への迷惑は承知で
このブログを書いています。
だから何度も辞めようとも思いました。
もしも答えがあるのなら
誰か教えて下さい。
僕はどうしたらいいですか????
今の世の中の整備状況で
ほとんどの人は困ってないかもしれないけれど
かならずそれでは当てはまらない人がいる。
男女に限らず
当てはまらない人たち
というのはいつもどこかで何かを困っていると思う。
些細なことで
大部分の人は
気が付かないかもしれない
その程度のことかもしれないけれど・・・
だけどそれを嘆いていても仕方ないし
誰でも困ってることは一つや二つはある。
自分だけじゃない。
自分たちだけじゃない。
そう思うから
なんとか頑張れる。
僕はただ
色んな考え方や生き方の人が
その人らしく生きていけるような
そんなことを
ちょっとだけ
望んでいるだけです。
高望みなんでしょうけどね(笑)
まとまりのない日記になってしまいましたが
これからも皆様
遠慮なさらずに
どんどん書き込みして下さいませ!(^^)
どんな意見も感想も
無駄なものはないと思います。
こんな僕ですが
これからも宜しくお願いします!!!


















![[LIKE]vol.6](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51c4oFmxsbL._SL160_.jpg)


僕も、FtMを自称している人間で、精神科の頼りにならない診断はもらったことがありますが、未治療の状態です。おそらくこれからもしないでしょう。
仕事先の会社からは「オナベ」として扱われています。従業員のほとんどは、僕が女であることは知りません。
日常生活においては、男と女を自分の都合に合わせて使い分けています。
ずっと男っぽい格好をしてきたせいか、女で通した方が都合のいい場面では逆に「女です」と言ったところでなかなか信じてはもらえませんが、言い張ります。
人に迷惑をかけない、それは大事かもしれませんが、じゃあ、頑張っても女性にしか見えないFtMは女子便に入るべきと言うことでしょうか?
堂々としていれば、ちょっと不信がられるかも知れないけど、大体生活に支障はないはずです。
自分の行きたい方、やりたい方、入りたい方へ突き進めばいいんじゃないでしょうか?
僕はそう思いました。
FTM当事者さんのコメント拝見しました。
正直な気持は、
「ああ、ちゃんとFTMという概念に合致した現実生活を送っていられる人なんだ」
ということでした。
彼はそうするために、言葉では表せないほどの
努力、痛み、傷を引き受けてきたのでしょう。
けれど僕は、彼の言葉はもっともだと思う反面、
なぜ、社会の「普通」にマイノリティーが合わせなければならないのか。
というかすかな疑問も感じたのでした。
もちろん現実には、
外見上男に見える人が、
女子トイレに入ってきたら
騒ぎになるのは仕方のないことだと思っています。
「普通」に合わせて、周りに迷惑をかけないよう、「こちら側」の人が配慮すべきなんでしょう。
しかし、周りに極力迷惑をかけないですむトイレが見つからなかったとき、
やむをえず女子トイレに入るしかない、
そのときの「こちら側」の人の気持を、
簡単に
「配慮が足りない」
とは、言いたくない。
僕は以前書かせていただいた通り、
女として46年間を生き、
女として男性と結婚し、
嫁として、彼の家族に受け入れられている。
自分が本当は男として生まれたかったこと、
男としてパートナーを愛していること、
は、家族に打ち明けられない。
今の暮らしを捨てて
男として、ゲイとして
残りの人生を生きていくということは、
僕にはできない。
なぜなら、
今の家族を愛しているからだ。
女として生きてきた半生、
女だったから出会えた人たち、
そういったすべての「過去」をも、
自分自身が受け入れ、認めてやることで
はじめて
僕は「自分らしく生きられる」。
からだは女性なのに、
心はまぎれもなく男で、
しかも「同性」である男性しか愛せない。
こんな僕は、
FTMじゃない、
ゲイと言っても信じてもらえないだろう、
じゃあ、何なんだ。
と、苦しんできた。
なぜ苦しいのか、と考えてみる。
自分が自分のことを知っているだけでいいはずなのに、なぜ、苦しいのか?
ひとりでは生きていけないからです。
ありのままの自分を愛してくれる人に出会わなければ、
生きていくことは地獄だ。
僕も、いつか
夫に自分のことを話してしまうかもしれない。
嘘をつきながら「女」のふりをし続けることに
耐えられなくなる日がくるかもしれない。
けれど
ひとは簡単に割り切れないものを抱えていると思うのです。
「自分らしく生きる」とは
どういうことなのか。
正直に話してしまうことで
得るものは何なのか。
失うものは何なのか。
今までの僕を支えてくれてきた人たちの痛みは
僕が「自分らしく生きる」ために
失うものよりも、
はるかに重いものなのではないか。
こんなふうに、日々葛藤し、
自分を責め、
考え悩む。
答えは出ないまま。
どんな枠にもあてはまらない、
「マイノリティー」の中でさえ居場所が見つからない、
苦しいんだ、せつないんだ、頭にくるんだ、
という心の叫びさえ許されないのだとしたら。
僕は、苦しいときは苦しいと、
誰でもが言える世の中が本当だと思う。
オレの苦しみに較べたら
オマエの悩みなんて、
というようなことは、言いたくないし、思いたくもない。
誰もが、
自分らしく生きたいともがいているんだと思う。
もちろん、あなたへの反発や批判があっても、
それはその人の立場からすれば当然のことなので、
否定することはできない。
色々な考え方があってあたりまえだから。
でも、めげるな!!
けーじろーさんと僕は状況こそ違うが
「苦しんでいるのは自分だけじゃなかった」
という安堵感と
僕も僕自身にちゃんと向き合っていこう、という勇気を、
あなたの言葉からもらっているよ。
長々申し訳ありませんでした。
支離滅裂だったかも。
僕こそ、
なんの「枠」にもあてはまらないのに、
生意気なこと書いて、非難されるかもしれないな。
はじめまして。
私の彼もホルモンも手術も何も受けていません。本人は本人なりに悩んでいるけれど・・私は「ありのままの彼でいい」と思っています。治療も手術も自分自身で必要と感じた時に考えればいいと思うし・・。
彼が女の体で男として私を愛してくれていることに戸惑いはありませんでした。その愛が本当に真剣なものだとわかったし・・彼の人間性をずっと好きだったから。
世の中いろんな人がいて、いろんな考えがあって「絶対にこうでなきゃいけない」ってことはないのだから・・・・。
今、彼と私の子供たちと一緒に暮らしています。
幸せな毎日です・・・・。
こういう形の愛や家族や幸せがあるってこと・・・あってもいいってことをたくさんの人が理解してくれるといいなって思っています。
はじめまして。
私の彼もけーじろーさんと同じように、何度も何度も
悩んだり立ち止まったりしながら
それでも自分のやりたいことや目標に向かって
前向きに進んでいます。
みいさんの言われていたとおり、
私も 彼が女の体で男として私を愛してくれていることに
戸惑いはありませんでした。
そんな彼に本当に愛されて、私はとても幸せです。
私も彼のことを本当に心から愛しいと思っています。
でも、ときどき苦しくて仕方がないときがあるのです。
こんなに優しくて、こんなに愛おしくて、こんなにそばにいたいと
思っているのに、心の奥の奥のほうで、
どうしてもやりきれない気持ちがあるのです。
彼の考えが100%けーじろーさんと同じではないにしても
少なからず思いが重なる部分はあるのではないかと思います。
そんな彼のそばにいたいと思う気持ちに嘘はなくても
私の心の奥にあるこの気持ちが
彼に対してとても失礼なのではないかと思うと
どうしていいのか分からなくなってしまいます。
こんなことを言ってしまうと
そんな気持ちで付き合ったりするな!
と怒られても仕方がないかもしれません・・
こんな気持ちを書いてはいけない、と何度もコメントを
送るのをやめようと思いました。
けーじろーさん、ごめんなさいね。
彼ともちゃんと向き合って話し合っていくべきなのだと思っています。
でも、迷いながらも心から相手を想う気持ちに偽りはありません。
こんな彼女がいてしまうのも、許してくださいね・・
Ringoさんのおっしゃることと同じ想いを抱えてるものです。
私のような存在も他の彼女さんからすれば非難の対象になるのかもしれない。
偏見や差別のない日が一日も早くきてほしいって、無理なことをいうと最初から偏見差別なんてなかったら良かったのにって思わずにはいられません。
文章が下手で申し訳ありません。
あと私の彼もけーじろーさんと同じ考えの持ち主です。
Ringoさnんの「やりきれない気持ち」。
それはFTMが抱える
「本当の男」ではない?ということでしょうか・・・そうなら、彼女さんたちも、
きっとFTMの抱える闇の部分を一緒に感じてるのかもしれないですね。
「ありのまま」で生きていくことはそれぞれの価値観や生き方であり、それを非難することは出来ないと思います。
それぞれにはそれぞれの苦しさや葛藤があり、妥協や諦めを「割り切り」として生きていく方のほうが圧倒的に多いと思います。
普通にあわせることもないし、マイノリティだから肩身狭くして生きていけよ、とは思いません。
考えて生きているのなら、それでいいと思います。
ただ、「普通」には生きていけないことは知っておくべきだと思うし、「自分はこんな差別や批判や辛さを背負って生きているんだ」と他人にわかってもらおうなんて不可能なことです。当事者同士でしか絶対にわからないからです。
ただ「FTMなんだから仕方ないじゃん」と開き直って生きていくことだけはしてほしくないと思います。
宙ぶらりんの自分のことを中途半端な人間だと諦めて生きていくのではなく、「自分にしか出来ないこと」を見つけて、生きていってほしいと願います。
僕もけーじろーさんのようにオペや治療はしていませんが、ほぼ同じ考えです。なんで、こうだとか決め付けて生きなきゃなんないんだ!人は人!いろんな生き方があっていいと思う!そうじゃなかったらみんな同じで一人じゃなにもできないように思える。たくさんの意見が多いから、正しいんじゃねぇ!あわせるんじゃねぇ!けーじろーさんがんばれ!
>僕はどうしたらいいですか????
って部分が気になりました。
あなたはあなたのままでいてください。世の中にはいろいろな考え方のヒトがいます。あなたの考え方もその中の大切なひとつです。私もあなたとほぼ同じ考えの持ち主です。2日ほど前にFTMでGoogleしてたどり着いたのですが、「あ~仲間がいてよかった」と思いました。日本の社会は「違いを受け入れる」事に関して異質なものを排除するプレッシャーが強いと思います。私も4ヶ月前までアメリカで暮らしていたので「違って当たり前」の前提から「同じで当たり前」の前提の違いにとても途惑っています。GIDの問題にしたってそこに属するからFTMTSかMTFTS(つまりSRSを望んでいるヒト)のどちらかである必要はないでしょう。GIDを抱えたままでSRSを受けずに生きていく事だって大きな決断だと思います。
トイレに関しては、私も緊張します。出来るだけ公共のトイレも使わなくていいようにし、勤務先でも女性の職員と会わないように時間差で入ります。彼女たちの安心した空間に波を立てたりしたくないですから。それでも女性専用車に乗って「あの~」とか言われると腹が立ちます。
ま、結局自分自身がやりたいように生きるのが一番、って事でしょうね。
はじめまして。初めて書き込みます。
御日記、夢中で読んでしまいました。
そして、私もけーじろーさんとすごく似た感覚だ!私が思ってたことって、こういうことかも!と思いました。
私も、体はこのままで、いろいろ考えながらもなんとか自分らしく生きていこうと思います。
これからも日記読ませていただきます。
世の中の固定概念が、そこに当てはまらない人たちを苦しめてるかもしれないって、Majorityがもう少し気がついてあげられるような社会だったら、もう少しラクに生きることができるのに。。。
「世間で言われる【普通】って誰が決めたの?」と、つくづく考えさせられる内容でした。
世間で言われる【普通】はいわゆる社会の主流派(メインストリーム)の人々が決めたものです。私のセラピストは「メインストリームにいる人は鈍感だよ」と言っていました。そんな人たちの決めた【普通】に縛られる必要はまったく無いと思います。
はじめまして今晩は。
FTM(本人の認識によればFTXかもしれませんが)の友人から「けーじろーさんのブログに共感した」旨のメールが来たのでお邪魔させていただいています。
ちなみに私自身は身体・精神ともに女性です。ただ、中学から高校にかけて男性的な格好・言動をしており、その時は自分を男性よりの中性として認識していたので、多少中性的かも知れません。まぁ、それはどうでも良いのです。
「自分の名前以外特に何も名乗る必要がない」。
この表現が私の思考と近似していたのでコメントさせてもらいます。私の思考は、その友人に向けての言葉になるかも知れません。
言葉というのはそもそも人間が創り出したものです。
先に存在しているのは事象のみ。
事象をカテゴライズするための便宜として、人間は言葉を創り、概念を創り、ルールを創った。
それは何故か。そのほうが楽だから。
人間は一人では弱い。だから集合体を創り、集合体により自らを守ろうとした。けれども、人間が集まったとき統制がとれなければ集団として存続しえない。集団としての意味が無い。だから統制をとるためにルール、基準で縛る事にした。それは小さな団体でも大きな国でも同じですね。
そうするとなると似たもの同士を最大公約数でくくる事になる。とすれば、最大公約数から溢れたもの、言葉では表現不可能なものは事象としてのみ残ってしまう。
集団が目の前にあるのにそれに属していないという状態。それが人を不安にするのでしょうね。
性同一性障害も同じだと思います。
自分がどこにいるのか分らない事に対する不安。自分の今後が見えないという不安。自分は他人とは違うのではないかという不安。そういった感情が生じる事は、社会のシステムからしても仕方のない事だと思います。
ですが私個人としては、そんなに悩む必要は無いのではないかと思うのです。
もちろん自己について悩む事に意味がないといっている訳ではありません。そうではなくて、周りの人間が自分を理解してくれないのではないか、認めてくれないのではないかという事を悩み過ぎないで欲しいのです。
あなたが自分を「FTMです」とカミングアウトする。自分をカテゴライズする。
それは、あなたという人間の本質を変えるものではありません。今まであなたと共に生きてきた周り人々の認識を変えるものでもありません。
あえていうなら、あなたという人間を深くする。今までの認識を、同じ方向に掘り進む。ただ、それだけなのです。
あなたという人間に、その人格に惹かれてそこにいる人々の思いが、分類のためだけに使われる薄っぺらな言葉によって本当に変わってしまう事はないのです。
何故なら、あなたという人物が、そしてその魅力が、分類の言葉よりも先にあったから。
あなたという人間が好きだから。
ただ、それだけの事なのです。
言葉のほとんどは本質には影響しません。だから、言葉を恐れないでください。あなたの周りの大好きな人々を、もっともっと信じてください。
そして何より、あなた自身を。
本当にそこにあるのは、あなたが今、生きているという事実だけ。
どうか、今ある生を大切にしてください。
人間としての生を、あなたらしく精一杯楽しんでください。
初コメントにも関わらず非常に長い文になってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございましたm(__)m
トラックバックさせて頂きました。
僕も未治療のFtMです。月並みですが、別にどれがFtMとして正しいとか本物ということではなく、生きた結果が全てだと思います。僕は、けーじろーさんの生きたいように生きることで間違いないと思いました。
おーい、けーじろーくん、
更新楽しみになってるぞ?
ごめん、間違えた。
更新楽しみに「待ってる」ぞ。
ホルモン注射や性転換手術をしないGIDの人は、のけ者にされて叩かれて。
まるでそれが当たり前のような雰囲気のサイトばかりで。
マイノリティの中のマイノリティ。
そんな思いで苦しかった。
このblogに出会えてよかった。
もっと詳しくいろいろ書きたかったけど、胸がいっぱいで、短くてごめんなさい。
私もけーじろーさんと同じです。
私は、髪型も服装もほとんど男性のように
しています。初対面の人には80%ぐらいの確立で間違われます。
トイレも外出中は極力我慢して、無理に
なったらパチンコ店に入ります。
皆、パチンコに夢中なのであまり気にして
ませんから(笑)
私は診断も受けていないし、もちろん治療もしていません。自分の毎日の生活が苦しくても生まれたまんまの性で生きています。
でも、今は診断を受け治療を受けるかどうか迷っています。色々なサイトに行き、色々な意見を読む中で迷いは増しています。
けーじろーさんのような生き方もある。FTMの治療を受けている方々のような生き方もある。どちらが正しいとは考えません。
自分の生き方があるんじゃないかとも思っています。
また、遊びに来させてください。
すみません
何が言いたいか、さっぱりわかりません
オレには御託並べて言い訳してる様にしか
思えません。
FTMとか純男とか関係ないにしろ
おかしくないですか?
オレは、こうなんだ!!
って言うのもわかりますが
そう言ってるだけの我儘ですね。
認めてもらうには、それなりの努力も
我慢も必要です。
男に見える女で
男になりたいならモラルは守りましょう。
イジイジとカムしてないとか
男だけど体が女なんどもんとか
言い訳するなら
トイレに入って驚かれた事も
素直に受け止めて
うじうじ話すのはやめましょう