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2006年8月アーカイブ記事一覧

FTM名乗ってごめんなさい(かな!?)

| コメント(19)

先日FTM当事者様より
興味深いコメントを頂きました。
コメントはこちら

なので、それに関連して
今日はまじめに書いてみようと思います。

まずは

貴重なコメントありがとうございます。
実は、こういうコメント待ってました!
というのが本音です。

というのも、変な話かもしれませんが
僕のブログを読む人皆が僕に共感するほうが不自然だし
むしろ反対意見だったり
違う考え方を持っている人からのほうが
色々学べたり考えるきっかけを貰えるときが多いからだ。

だから、率直なご意見を頂けたことに

本当に感謝しています(^^)

もしも僕がブログをやっていることに
何らか意味があるのだとすれば
少なからずこういうところにあるのだと思う。

FTMと呼ばれている人たちの中にも
当然様々な考えや立場、状態や境遇の人がいて
一人一人の FTMという言葉に対する
解釈も、とらえ方も、使い方も、定義も微妙に異なると思う。

その中には
自分なりに模索していくうちに
自分はFTMではないか・・・と思っている人

医師から診断されて治療している人

診断があっても治療しない人

性別違和を覚えながらも、障害だとは捕らえていない人

あげたらキリがないくらい
様々なパターンがあると思う。

僕も昔、
まだ“性同一性障害”とか
“FTM”という言葉がまだまだ一般的ではなく
そういう概念すらなかった時代
自分というものを表現したり説明したりする際に
“同性愛者”とか“バイセクシャル”とか“レズビアン”
といった語句を使っていた時期があった。

だけど、それらの言葉には
どこか違和感を覚えていた。

違和感を覚えたきっかけは、

僕のまわりにいた
ゲイやレズビアンの人達が
必ずしも 反対の性に生まれてくれば良かったとか
女らしい言葉を使っていても
男であることに嫌悪感がなかったり
男っぽい格好をしていても
別に女であることに問題はなかったり・・・

つまり生まれた自分の性別のまま
その同じ性別の人を好きだという人たちに
多数巡りあった。

僕は最初
ゲイやレズビアンの人たちは
皆、反対の性になりたい人たちたけだと思っていた。
自分がそうだから、きっとまわりもそうだ・・・
みたいな安易な発想なんですけど(^^;

だから、
男として男が好きとか
女として女が好きとか
むしろそっちのほうがなかなか理解できなくて
何度も何度も聞いた記憶がある。 

本当に女になりたくないの?
本当に男になりたくはないの??? と。

僕自身、確かに生物学的女性として、
女性を愛しているのなら
生物学的には同性愛であることに間違いはない。

だけど
自分は なんとなくその頃から

“同性愛者”ではないような・・・

そんな気がしていた。

そして、ある日

僕の場合、体は女ではあるけれど
心は男として、女性を異性と解釈した上で、
女の子が好きなんだ・・・

頭の中は 異性愛じゃないか!

そう気が付いた。

そんなある日、

性同一性障害という言葉と、その概念に出会った。


僕はこれだ!!!!


と心の底からうめき声をあげた感覚を覚えている。

何年も何十年も探していた
言葉では表せなかった感覚。

言葉で説明したくても 
相応しい言葉が見つからずに

“僕は間違って女に生まれてきた・・・”

そう説明するのが精一杯だった
そんな自分にとって

まるでガッツポーズをしたくなるような
そんな言葉との出会いだった。

性同一性障害という新しい言葉と概念との出会いは
僕にとって、まるで長年探し続けていた
難題の答えを見つけたような
そんな感覚だった。

やっと僕のモヤモヤが説明された・・
僕の存在が世の中に認められた・・・

こんな感じだったと思う。

だから、最初の頃は、
早く治療のガイドラインがより明確なものになり
一日でも早く 治療したいと願っていたし
アメリカでも大学で授業を取ってまで真剣に勉強した。
一日でも早く、女の体を脱ぎ捨て
本来の体に戻りたいと切実に願った。

いつカミングアウトをして
いつ治療を開始して
そしてそれに一番いいように
自分の人生設計や就職の時期を選んで…

不安もあったけれど
夢と希望の方が大きかった。

だけど、

色々なことを知れば知る程 
治療の副作用以外の面においても
進んでいっている方向性や世の中の認識などにおいても
様々な矛盾も感じるようになった。

本当に本当に
僕が治療をすることで
この問題は解決するのだろうか。

僕が僕個人の体をいじることが
果たして一番良い結論なのだろうか・・・

他に解決策はないのだろうか・・

完璧な男の体を手にいれられないのに
彼女との子供ができるわけではないのに

本当に治療がそんなに大事なのだろうか・・

そんな思いを抱えながら

治療する
治療しない 
治療する 
治療しない 

という葛藤を

何往復も
何十往復も
何百往復も
何千往復もして

10年近い歳月がたった。

そして 恥ずかしい話だが

結論は10年たった今も出ていない。

もし今、
この時点での結論のようなものを
無理やりにでも言葉にして表現するとすれば
以下のような結論なんだと思う。

僕が女の体のままで生きていくことは
非常に苦痛で 未だに耐え難いことだけれど
できればホルモンやメスといった外科的治療法ではなく
気持の方をうまくコントロールして
精神的苦痛を軽減して
生まれたままの体で 
性自認という枠や概念にとらわれないで生きていけないか。
治療をして、少しでも心の性と体の性を近づける選択は
一つの選択枠と尊重し、それを選んだ人を応援しながらも
違う選択を選んだ人も、その人生を堪能し桜花できるような
そんな世の中というのは
そんなに非現実的なことなのだろうか・・・

こんなことを考えている段階なんだと思う。

相変わらずわかり難い文章で申し訳ないのですが(^^;

こういうわかりにくさ
説明のできなさ
未だに決められない何か
煮え切らない気もち
良くわからない葛藤

こんな自分の中の全てが

僕のブログになったんだと思う。

FTMとは Female to Male (女性から男性)の略語で
性同一性障害のうち、 出生時の生物学的性別が女性で性自認が男性の人物を指す。

性同一性障害(せいどういつせいしょうがい; Gender Identity Disorder)とは、精神疾患の一つであり、精神的には身体的性別とは反対の性に
属するとした方が自然であるような状態の事である。

辞書の上ではこう定義されている。

そして、
このような言葉が世の中で一般的に知られ
少しでも関心を持ってもらえるようになったことは
心から喜ばしいことであり
偉大なる進歩だと思うし
昔から活動をしてくださっていた
先駆者達の功績に他ならない。

そして現在

このような言葉で
きちんと自分の存在や状態を定義され
医師に診断されることで
安心して治療ができ
体を心に近づけることが可能になった
戸籍でさえ 名前でささえ
合法的に変更できるまでになった。

まるで夢のような話である。

また、それと同時に
それとは違うことを感じる人もいる。

一定の言葉やカテゴリーの中で
きちんと定義されないことを
心から望む人もいるだろう。

どっちがいいのかわからない人も
たくさんいるだろうと思う。

僕は実はそういう所に
世の中の面白さや
人の奥深さを見出し
そこが生きていくことの豊かさだと思っている

だって
どっちが正しいとか
間違っているとか
そういうことがテーマではないはずだから。

僕自身
治療をするか迷っている今
治療をせずとも何とか生活できている今
限りなく性自認は男なのに
特に男性に見える努力もせずに
ちゅうぶらりん状態で生活している今

いただいたコメントの通り

僕がFTMを名乗ることも
性同一性障害を名乗ることも
筋違いなのかもしれない。

僕は

意気地なしで
はっきりしないで
煮え切らないで
意思がなくて
あいまいで
中途半端な奴だ。

当然FTMの人たちの中には
僕のような存在が迷惑だと思う人がいると思う

それは100も承知だ。

でも
だからこそブログをはじめた。

何かを訴えるためでも
自分をわかってもらうためでもなんでもない。

ただ僕がどうしていいかわからなかったから
何も決められないでいたから
僕の心の中の全てを
言葉にして整理してみたくなった。

それと

もしかしたら
僕みたいな人も
案外多いんじゃないかという
僅かな期待もあっただろう。

心と体の性を一致させないで
あいまいな状態で 
それでも何とか生活できている僕は

性同一性障害じゃないなのかもしれないし
ただ単に意気地なしなだけかもしれないし
無駄に我慢強いだけかもしれないし
諦めて開き直っているだけかもしれないし
現実から目を反らしているだけかもしれない

もちろん今だって
言葉ではいい表せないくらい
女の体である自分に対し嫌悪感を抱くし
胸を張って、自信を持って
街を歩けた試しなんて

ただの一度もない。

今だってできることなら
男の体になって
堂々と生活をしたいと毎日考えている

むしろ

この事を考えないで眠れた夜など


ただの一度だってないくらいだ。


好きな相手から
女の体である僕を触れられたとき
僕がどれだけ悔しくて
どれだけ悲しくて
どれだけ虚しくて
どれだけ逃げたいか

それはきっと
FTMの人なら
少なからず察することのできることだと思う。

今ここで
僕が自分の体にどれだけの嫌悪感を感じ
どれだけ悩んできたかなんて語っても
意味はないけれど

一つだけ言えることは

僕は 今日という日まで
なんとか女性の体のままで
生きてきているという現実。

そして

どんなにどんなに女であることが苦痛でも
ありとあらゆる要素、治療のリスク、
性同一性障害の原因などを総合的に考えた時に

現時点では治療をするという方向に
踏み切れていないということである。

その結果として

FTMを名乗るな!と
言われても無理はないと思う。

ようやくカウンセリングを受けたり
治療を開始したり
カミングアウトしたり
副作用に耐えたりしながら
様々な葛藤と苦悩の後に
心と体の性を一致させようとしてる人たちに対して
僕がこんな中途半端であいまいな内容を
ブログの文章として書くことは
本当に本当に
申し訳ないと、本当に思うからだ。

治療ガイドラインがどんどんできあがり
世の中がFTMという存在を認めつつあるなかで
僕みたいな人間はきっと
大迷惑な存在だと思う。

だから何を言われても
何を思われても
仕方がないと思っているし
当然のことだと思っている。

だけどそういった世の中の流れの中で
僕のように迷っている人も
少なからずいるのではとも思う。

今の僕は
正直に言ってしまうと

自分の名前以外
特に何も名乗る必要がないのではと

そう思っていたりもする。

人は10人10色

それなのに

限られた語彙の中に
全員を上手く格納するなんて
無理なんじゃないかなって思う。

自分の素性を説明すつときに

FTMって知ってる?

と聞いてみて、わかり易く説明することはあるが
自分が100%その定義に当てはまると言ったことはない。
世の中で一般的に使われている語句の中では
より自分を表現するのに適切な言葉だと思うから
相手がよりイメージを沸きやすくするために
言葉を引用することはあっても
僕を100%適切に 完璧に表せる言葉なんて
ないはずだから。

きっと昔の記事にも書いた気がするけれど

今の僕は
レズビアンと呼ばれようが
タチと呼ばれようが
バイと呼ばれようが
FTMを名乗る偽者と呼ばれようが

全くと言って良いほど構わない。

もちろん昔は

違う!!!

とか言って喜怒哀楽を出して
論争していた時もありました(^^;

だけど

FTMだと自認していても
病院でFTMだと診断されたとしても
体にメスを入れられず
生まれたままの体で
生きていくことしかできない
または
あえてそう生きている人たちは
確実にいると思う

僕は女子便に行くとき
いつも申し訳ない気持ちでいっぱいだ

当然僕は

男女共用のある店をできるだけ選び
人の少ないトイレを選ぶようにして
膀胱炎寸前までトイレを我慢し
誰もいないようなら障害者用のトイレに行き
できるだけ誰にも

迷惑をかけないように
しているつもりだ。

僕は人に迷惑をかけるのが
死ぬほど嫌いだから。
僕の存在が迷惑でないか
極限まで気を遣って生きている。

それは僕が
超自分中心な人間だからだ。

自分のために
人に迷惑をかけたくないのだ。

僕は男装もしていないし
胸も潰していない
背だって小さいし
男みたいな髪型はしていて
ガニマタだけど
決して無理に男らしくしようとしているわけではない。


自分らしくありたい

そう思っているだけだ。

むしろ現状は
女にちゃんと見えるように
女らしくすらしているかもしれない(笑)

十代のころは

男性として扱ってほしい!

と言っては

女扱いされればカッとなって言い合いもしたし
一人でいじけたりもした。

自分を理解してほしくて
無理やり押し付けがましいレクチャーもかました。

でもそんな僕の過去を恥ずかしいとも思わないし
そういう過程は大切だったようにも思う。

今のこの中途半端な生き方も
正当化するつもりは全くないけれど
自分の心の弱い部分もずるい部分も全部ひっくるめて
できるだけ思ったままを
このブログで表現しているつもりではいる。

僕は今、自分に彼女がいることも
女性が好きなことも
こんなブログをやっていることも
誰にも隠していないし
会社でもありのまんまだ。

僕は僕

それ以上でも以下でもないから

僕の実際の定義は


皆に一任している


僕があえて自分に定義をつけて
教えることもないし
僕についてどういう風に扱って欲しいとか
どういう存在だと見て欲しいという
リクエストも
一切誰にもしていない。

だって

僕にとっての僕は
僕が見た僕でしかないし

相手にとっての僕は
相手が見た僕でしかないから

自分自身が自分自身を定義したり
自分自身を評価したりすることって
実はあまり意味のないことだと
最近つくづく思う。

僕という存在は
誰かに 何かしらの形で受け止められて
はじめて存在するのだから。

つまり

他人がどういう風に 僕という人間をとらえるかは
最終的にはその人にゆだねるしかないのだと思う。

僕がいくら

FTMです!
性同一性障害です!

といっても 

女にしか見えない人もいるだろうし
認めたがらない人もいるだろうし

僕が

レズビアンです

といっても

FTMにしか見ないひともいるだろうし
僕を異性愛者だと思う人もいるかもしれない

でもそんなことは

たいして重要ではない気がするのだ。

髪の毛は短くて
立ち振る舞いも男っぽく
化粧もせずに、決して女性らしいとはいえないけれど
生物学的には100%女として機能していて
声だってハスキーだけど
カラオケで女の歌もバリバリ歌える(笑)
胸だって潰していないし(大してもともと大きくはないけど)
身長だって156位しかない

その、
僕のありのままの姿を見て

女と判断するか
男と判断するか
中性ととらえるか
FTMととらえるか

はたまた
人としてだけとらえるか

けーじろー という一人の人間としてとらえるか

それは人それぞれが決めることで
僕が決めてあげることもできないし
僕が決める必要もないと思う

世間が定義する
男か女。

どっちかにはっきりと見え易いように
この2分法にきっちりと当てはまるように
僕が自分の格好も見た目も立ち振る舞いも
配慮する必要が
本当にあるのだろうか・・

女子便で驚かれて嫌!?な思いをした

と確かに書いてはいるけれど

彼女を攻める気持ちからいっているのではないし
彼女に非がないのは
僕自身が一番良くわかっているつもりだ。

彼女の脳裏にある
“女性”というもののイメージとはかけ離れる人物が
女子トイレ内にいて
とっさに男子便に来てしまったのではと
何度も何度も確認する。

当然の行為だ。

明らかに悪いのは彼女ではない。

男はこういうもの
女はこういうもの

こういう固定概念を
無意識のうちに
生まれたときから植えつけられていたら

一瞬僕を見たときに

“ギョっ”としても仕方はあるまい。

その反面、
僕のことをどっからどう見ても
女にしか見えないという人もいる。

人の視点やものの捉え方というのは
本当に千差万別だ。

もともと男に見えるように努力し
体も男にしようとしてた人間だ。
男に見られて嫌なわけはない。

嫌というよりむしろ やや嬉しい気もする。
ただ、現在は
無理して男装もしていないし
むしろ 少しばかりは女に見えるように
配慮しているにも関わらず
わりとしょっちゅう男だと認識され
日々街で風俗に勧誘される自分に
ある意味で驚いているくらいだ。

何で素の自分で男に見えるのだろうと(笑)

僕は別に

“男”を演じているわけでも
“男”に見えるようにしているわけではない。

むしろ今は逆だ。

トラブル回避のために
女に見えるように努力しているくらいだ。

でも
もしもだけれど

そういう概念がなくて

生まれたからだの性別にまったく関係なく

どっちがどう行動しても
何を好んでも
何を着ても
何をしても

もし ぜーんぜん平気な世界だったら

僕は自分を

間違って生まれてきた・・・

とさえ
感じる必要すらなかったのじゃないだろうか。

いや わからないんですけどね(^^;
こればかりは・・・

世の中のありかたに関係なく
体に違和感を覚えていたかもしれないし
治療を望んだかもしれない。
同性結婚が合法で
履歴書に男・女だけでなく 第三の性という欄があっても
自分は男に○をつけたかったかもしれない。

だけど 
そんなことは
あまり重要じゃないのかもしれない。
僕にとっても
世の中にとっても。

全ては仮説でしかないから。

どっちでもいいんです。

でも、実際に
現実問題として
僕のように
女子便行っていいものか
男子便行っていいものか
って

すごい小さいことだけど
そういうことで悩んでいる人はいると思うし

大事なのは

そういう人もいるってこと

それを理解をする必要はないけど

知るということ。

そしてそういう人が現実にいるということを

認めること

好きになる必要も
共感する必要も
理解する必要もない。

だけど存在しているということ。

恥ずかしい話だけど

僕は女子便に行くことに気がひけながらも
男子便に行く勇気もない。

さらしを巻いて 男を演じて
男子便に入る勇気はない。

だけど

髪を伸ばして
スカートを履いて
化粧をして

女子便に自分を合わせるつもりもない。

世間的にスタンダードとされている
男像にも女像にも
当てはまらない生き方を
自分勝手だとは思うけれど
それが自分なら貫くしかないような
そんな感覚でいる。

もちろん極力迷惑はかけたくない。

だけど
トイレには行きたくなるんです。
行かないと病気になっちゃうんです。

こんな小さいことだけど
どっちにもいけない僕は
こんな事ごときで

本当に生きていくのが嫌になることだってある。


>>>「FTM」という言葉を使うのは構わないのですが、
自身がそう思っている以上、中途半端なことはしないでくださ

い。

おっしゃる通りです。
僕は本当に中途半端なやつなんです。
情けない・・・

誠に申し訳ないと思っています。

だから誰かに

FTMの恥だ!

そういわれたって仕方ないし
FTMと認められなくても

仕方のないことだと思っています。

僕がFTMという言葉を借りさせて頂いている
たった唯一の理由は

今存在する限られた言葉の中で
より一番それを表現するには一番近いものだと思ったから。

そして、
僕のような人も
一度はそう自分を疑うであろう言葉だから。

誰が聞いても使っても
全く同じものを意味する言葉なんて
実はそんなにないんだと思う。

だから
悩むし
FTMの方々への迷惑は承知で
このブログを書いています。

だから何度も辞めようとも思いました。

もしも答えがあるのなら
誰か教えて下さい。

僕はどうしたらいいですか????

今の世の中の整備状況で
ほとんどの人は困ってないかもしれないけれど
かならずそれでは当てはまらない人がいる。

男女に限らず

当てはまらない人たち

というのはいつもどこかで何かを困っていると思う。

些細なことで
大部分の人は
気が付かないかもしれない
その程度のことかもしれないけれど・・・

だけどそれを嘆いていても仕方ないし
誰でも困ってることは一つや二つはある。

自分だけじゃない。
自分たちだけじゃない。

そう思うから
なんとか頑張れる。

僕はただ
色んな考え方や生き方の人が
その人らしく生きていけるような

そんなことを
ちょっとだけ
望んでいるだけです。

高望みなんでしょうけどね(笑)

まとまりのない日記になってしまいましたが
これからも皆様
遠慮なさらずに
どんどん書き込みして下さいませ!(^^)

どんな意見も感想も
無駄なものはないと思います。

こんな僕ですが
これからも宜しくお願いします!!!

転職!?

| コメント(3)

今日、 入社半年過ぎたばかりだというのに
約半日 真剣に転職を考えてしまった(^^;

僕の飽きっぽさがバレバレですね~

原因は3つ。

①今の社長を理解する自信がなくなった
②目標年収達成の見通しが見えない
③偶然にも自分にぴったりの求人広告を見つけてしまった

以上。

午後1時くらいから悩み始めて
さっきまで およそ12時間。
一時は履歴書を書こうとまで思った。

が・・・・

結局行き着いた結論は

全ての原因は自分だということ。

僕は社員を信じられない社長と
全くと言って良いほど計画性のない会社に
実はかなりストレスを感じていた。

期待されて入社している分
その期待にこたえようと必死だったが故に
そのストレスは相当なものだったのだと思う。

お陰で最近はヒドイ肩こり(笑)

アンメルツとサロンパスと愛用のコロンの
三種混合臭・・・

だから本気で転職を考えた。

しかしだ・・・

社長が売り上げの低迷を社員のせいにしても
社員が何かの失敗を部下のせいにしても


絶対に会社はよくならない。

責任を誰かに押し付けている間は
自分も会社も成長しない。

それと同じで

僕のこのモヤモヤを
どんなに会社のせいにしたって
どんなに社長のせいにしたって

僕のためにも 会社のためにもならない・・・

そう思った。

様々な理由や経緯があって
今の社長や会社が
少しばかりゆがんでしまっていたとしても
そのせいでもしも
社長が僕ら従業員を信じることができないでいたとしても

それを言い訳に僕まで会社や社長を
信じるのを辞めてしまったら

結局同罪だと思った

だから

信じてもらえないことを嘆くのではなくて

信じてもらえるような仕事をしようと

そう思った。

社長や会社を変えてやろう!

なんて野望は持っていない。

己を信じて
会社を信じて

地道に頑張ってみようと思った。

もしいつか僕が
起業したり
出世でもして、
今よりも人の上にたつ立場にもしなっても

最後まで自分の従業員や部下を
信じてあげたいのだったら

僕は今与えられているこの環境の中で

社長と会社を、そして
一緒に働いている皆を信じることが

それにつながるんだと思った。

だから転職はしばらくお預けだ(笑)

今日は仕事の愚痴っぽくて
スミマセンした。

FTMの平均給料って?

| コメント(4)

FTMの平均給料って?

驚くなかれ 今日で僕は入社半年を迎えた。
以前、1ヶ月で社員を辞めたことを考ええれば
ここまで続いていることに 
自分が一番驚いている(^^;

すぐにやめることも想定し、
今回の就職はかなり真剣に、
そして 定期も1ヶ月しか買わない!
という姿勢で臨んだ(笑)

長く続けよう!

と力まなかったのが功を奏したのか
今の所は 特に不満はない。

本当に雇って下さってありがとうと思う。

たまに待遇のことだけを考えると

大手外資系に転職・・・

なんていうこともチラつかないと言えば嘘になるし
たまに転職サイトを見てしまうのは
止むを得ないのかもしれない。

実際に僕より特に英語ができるわけでもなく
特に資格があるわけでもないけれど

英語のできる生物学的男性

というだけで、超高待遇で働いている人を知ってるだけに
なかなか複雑なところである。

しかし、今までの僕のいい加減な経歴を考えれば
今は動けない。

とりあえずは給料が下がらない限り
3年は大人しくしているつもりだ。

石の上にも3年ですから。

本音を言えば

また一から

カミングアウトするのが面倒(^^;

というのもある。

だから、一番の理想は
今の会社がどんどん大きく?なって
待遇が良くなることなんだけど。

でも僕は負けず嫌いだから
31歳になった時
同じ年の男子の平均年収よりも自分の給料が低かったら
いくら会社がすきでも
それだけでは勤められないかもしれないけれど。

こんなことを比較したりするのは
とっても人間が小さくて嫌だし
そんなものに執着しているのも
あまりよろしくないのかもしれないけれど

どうやっても敵わないこと
どうやっても真似できないこと以外は

やっぱり 男に負けたくないんだと思う。

負けたくない というよりは

体が女であるが故に
何かが不利になるのが嫌なんだと思う。

なんとか女の体のままので
生きていこうとしているのに
理不尽なことがあると
正直苦しいんだと思う。

ほんと、僕 
相変わらず煮え切らないっすね(笑)

いくら世の中の風潮としては
男女平等に近づいていっているとは言え
蓋を開ければ まだまだそこには歴然とした差があるわけで
男女の平均年収を見れば その差は歴然である。

もちろん女子が一般職を好んだり
出産でフルタイムで働けなかったり
必ずしも制度や古いしきたりのせいだけではない。
望んで専業主婦やパートを選ぶ人もいる。

たとえ制度が100%完全に平等なものになっても
様々な要因から 
生物学的な問題からも
結果的には完全に収入が同じになることはないと思う

でもだからこそ

結婚もできないだろうし
子供も生まないだろうし
生涯仕事をしていき
もし養子を貰った時には
父親の機能を果たしたい僕としては

負けるわけには

いかないんですよね(^^)

とりあえず明日も会社
遅刻しないように頑張りますわ(笑)

FTMの僕に男性からの告白!?

| コメント(5)

FTMの僕に男性からの告白!?

実は最近、びっくり度肝を抜かれることがあった。

そう、

純男に告白されたから(笑)

僕、めちゃめちゃ大好きなんです!!! と(^^;


笑ってはいけないのかもしれないが、
相手がどうのこうの・・・ではなく、


この僕を????


というのが本音。

むしろ、

あ、君ゲイだったの???

と思うくらい(笑)

今までも
ゲイの男の子に 男として好きなタイプだと
言われたことなら何度かあったので(笑)

僕は今日も女子便で 完全に男に間違われて
嫌~!?な思いをしたばかり。
はっきり言って、僕を女性として見てくれるような男性は
この地球上でも数人しかいないはず。
数人いればいいでしょう・・というくらい
自分を女として 客観的に採点した場合
限りなく0点に近いと思う。

まあ、この彼も 僕を女として見ているのかは
疑問が多いに残るのですが(笑)

もちろん、こんな僕でも
昔は頑張って女性を演じていた時期もあるのだが、
男性を相手に 心底 心ときめくことは
結局できなかった。

まあ、明日トキメクかもという可能性はあるわけで
全ては絶対ではないですけど(^^;

確かに、今回の告白が本気か本気じゃないにせよ、

“出会ったときからずっと気になっていて、
1年たった今も尚、その気持がかわらない・・・
”と

まじめな顔をして言ってくれたことには
本当に心からお礼を言った。

僕の正体や僕の女好きを知った上で
言ったのだから
僕がストレートの女性!?に
立ち向かっていくのと そう変わりはないはず(!?)

とにかく、
人から好意を寄せられて
嫌な気はしない。

だから、
彼が何度も気持を伝えてくれたので、
僕も何度もお礼を言った。

本当に本当にありがとうと。

だけど、好意があるということよりも、
実は一番嬉しかったことがある。

それは、その彼が、

“僕が女だったら、股を開いてもいいと思えた、二人目の人だ”
“仕事を一緒にしていて、本当に男らしい人だと思った”

と言ってくれたことだ。

ちなみに股を開いてもいい一人目はB'zの稲葉さんらしい(爆)
これにはかなり笑った。

本当の僕は、女々しくて
小心者で 全然男らしくないから
彼にそんなことを言われて 誠に驚いた。
度肝を抜かれるってこういうい事なんだ・・・みたいな。

純男の人に、
“めちゃめちゃ男らしいから好き”
と言ってもらえることほど
FTMであろう僕には 嬉しいことはない。
それも、一緒に仕事をしている先輩に。

たとえ大部分がお世辞だったとしても
言ってもらえたことは かけがえのないくらい
勇気や希望をくれた。

そして

“一緒に仕事ができて嬉しい”

と言ってくれた。

これは、僕も思っていたことだったから
相手もそう思ってくれていて
本当に嬉しかった。

もう少し仕事 頑張ってみようかなと思えた。

結局 彼が好きだと言ってくれた僕とは
女の僕なのか 男の僕なのか 
はたまたどっちでもない僕なのか・・・

そして彼は僕は
女と見ているのか 男と見ているのか
どっちでもないのか 両方と思っているのか

そこはわからない。

きっと彼もわからないかもしれない。

ドキドキするような感じの好きではないかもしれないし
彼にしては 異性としての好きではないかもしれない。

だけど、色々な意味で
つくづく

人って色々だな

どんな可能性も あるんだな


な~んて思ってしまった出来事でした。

そんなことを思いながらテレビを見ていたら
気になる映画を発見。
性同一性障害の主人公の映画で
滅多に映画を見ない僕が 
明日にでも見たいと思ったので書いておきます。

井筒和幸監督が テレビ朝日の深夜番組で絶賛していました。

トランスアメリカhttp://www.transamerica-movie.com/site/

以下、http://www2.pado.co.jp/movie/2006/0630/a.html より
抜粋

<あらすじ>
ごく普通の女性として、ロサンゼルスでつつましく生活をしているブリーには秘密がある。実は彼女、男性で

あることに違和感を持ち、性転換手術を目前に控えたトランスセクシュアル。ところがある日、そんなブリー

の前に突然、トビーという少年が現れる。なんとトビーはブリーが“スタンリー”という男性だった頃に出来

た実の息子だったのだ。ひょんなことからブリーは、実の息子であるトビーに自分が父親であることを隠した

まま、共にアメリカ大陸横断の旅(トランスアメリカ)に出ることになった。

<みどころ>
『ブロークバック・マウンテン』をはじめ、セクシュャアリティをモチーフにした作品が高評価を受ける中、

全米で話題沸騰のハ一トフル・ドラマ。このドラマを引き立たせるのは、人気TV番組『デスパレートな妻たち

』でエミー賞を受賞したフェリシティ・ハフマンと、『ドーン・オブ・ザ・デッド』での好演が光るケヴィン

・ゼガーズ。本作は一見、奇妙で複雑な親子のアメリカ横断の旅物語に見えますが、本作でドーヴィル映画祭

脚本賞を受賞したダンカン・タッカー監督の手によって、私たちが忘れていた“やさしさ”を思い出させてく

れる、魅力的な作品に仕上がりました。


ぜひ、気になった方見てみてください!

人のココロ

| コメント(2)

日記を自分のペースで
ある意味自分勝手にだけど続けよう・・・

と決意してから恐らく一週間以上。

案の定更新もせず(笑)

でもその原因は どちらかと言うと
書くことに行き詰るというよりは

現実的に忙しかった

というほうが多い。

なので むしろ
書きたいことは山々。。。

僕は今の会社にIT営業/およびWEBコンサルタント!?のような名目で
入社しているが
最近もっぱらやっていることは

経営企画
経営建て直し
問題解決
社長の相談役

大企業ではないので
皆が自分の仕事だけやっていればそれでいい

というような感じの場所ではない。

時には立場も役職も職種も関係なく
協力しあうことは必要だし
それがまた、中小企業の良くも悪くもあるところである。

そして僕はそんな今の会社が好きだ。

だから本気でもっと良くしたいって思う。

だけどそれをやればやろうと思うほど
つくづく思い知らされること

それが

人の気持ち

というものの

あいまいさ
強さ
弱さ
ずるさ
純粋さ

こんなものをまざまざと見せつけられる。

僕は根が真面目!?な性分なので
あまり ずるしたいとか楽したいとかは思わない

それよりかは

人よりちょっとだけ頑張って
その分人の倍楽しみたい

そう思ってしまうタイプだ

だから 余計に

全てを真に受けて
全てを受け止めたいなんて

そもそも
人の子ができるようなことでもないことを
試みるから

たまに本当に 

無理無理無理無理!

なんて状態になる(笑)

今日もなんて抽象的な日記なんだろ。。。

では最後に、

一人ひとりにコメントのお返事を書きたいけど
一気には無理なので今日はコメントを先日くれたカズさんに

こんな僕のような人間が、あなたの近くにもいますか?

という問いの答えですが、

もちろん僕が大先輩のカズさんにずうずうしく言うのも変ですが、

たぶん、僕もそうです。

>「ダンナを愛しているなら、大事にしなさいよ。引き受けてしまった人生を全うする中でも、自分らしく生きることはできる」と言われました。

と書いてありましたが、
僕も境遇は違えど、何か似ているものを抱えていると思います。

こんな僕にも理想というものがあって

そしてそこに希望を抱き。

だけど日々の生活の中で

現実というものに直面し

その中には諦めることしかできないものを知る。

だけどこれら全部を受け入れて

今を生きていくしかない。


そんな中で、

時に自分の存在を消してしまいたくなったり
自分から目をそらすことはしょっちゅうある

でも

こんな僕の文章を読んでくれる方々がいて
こんな僕でも好きって言ってくれる人がいて。

きっとみーーーんな何か抱えてるんだろうな・・・と

だから最近僕は

今を楽しむことを
いつにも増してやってます。

今ある全ては
この形で僕が生まれたからこそ出会えた

人であり
物であり
仕事であり
全てなんだと思うから。

答えにはなってませんが

これからも宜しくお願いします!

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