自分らしく生きるために 死ぬかもしれないということ
現在の医学では
GID(性同一性障害)治療に数々のリスクが付きまとう。
そしてそれは時に死をももたらす。
近年急速に整った性同一性障害に関する診断と治療のガイドラインの御陰で
以前に比べてホルモン治療やSRSを希望する人が増えているが、
それは同時に多くの危険をももたらしている。
当然闇で治療をするよりは、きちんとカウンセリングを受けて
するほうが、リスクは低いだろうが、
たとえ正規の病院で治療をしたとしても絶対に安全ということはない。
自分らしく生きるためにしていることなのに
死ぬかもしれないという似合わない現実
自分らしく生きれないなら
死ぬ方がましと思う人もいるだろうし
生きる価値がないと思う人もいるだろう
だけど 僕は
生きていることが 今とっても あり難い
せっかく授かった命は
一分一秒だって 犠牲にしたくない
そう思っている。
この考えが正しいとは思わない。
ただ、現時点で僕が思っていることだ。
そして、もうひとつ腑に落ちないことがある。
性同一性障害の
“障害”
という二文字がどうしてもひっかかる。
何かが納得できないでいる。
腑に落ちない。
そんな感じだ。
僕の母はある日こう言った。
女で生まれた人間が女らしくなかったり
脳みそが男のようであったりすることが
私はそういう事を障害とは思わない。
そうはっきり言った。
僕は母親にカムアウトはしていないが
それだけを言うために
母は僕にわざわざ電話をしてきて
それだけを言って
電話を切ったことがあった。
“私は障害とは思わない。個性だと思う”
そう言った昭和26年生まれの母。
随分リベラルな考え方になったものだと思う。
それは別に、性同一性障害を否定しているわけでも
治療をする人を非難するでもなく
ただ、女の子が男の子だったり
男の子が女の子だったりすることが
とっても自然なことであり 健康なことだと
そういいたかったのだと思う。
人それぞれなんだから 色んな人がいるわけで
それは障害だからじゃなくて
それがその人なんだからと 言いたかったんだと思う
その上で 治療をするなり しないなり
決めればいいと。
どんな人の心の中にも
女性も男性もいて
そのバランスや比率は人によって異なるし
時と場合でも 環境でも変わるだろうけど
それが世間の平均値と異なったって
勝るとも劣るともないだろうと
そんなことが言いたかったんだと思う。
僕はその時おもった。
僕が治療するにせよ
このまま生きていくにせよ
この人の子でよかったと。
カミングアウトをする必要もないくらい
僕を理解している
この人の子でよかったと。
そして 僕を
女として生んでくれたことでさえ
感謝できる日は 来ると思えた。
最近思うことは
もしかして 僕はFTMじゃないのかもとも思う。
そもそもどっからどこまでがFTMとかそういうのはわからないが
治療をしないと生きていけない人もいると思う。
だけど、僕は、女であることが どんなに辛く苦しくても
身体にメスだけは入れられない人間だ。
10年以上苦しんでいる椎間板ヘルニアでさえ
メスをいれずに治療したいと思うほどだ。
とにかく 健康なカラダ・正常に機能しているからだに
メスを入れるくらいなら 我慢しようと思ってしまう。
女の身体のままでも なんとか気が狂わずに生活できている僕は
もしかしたら FTMではないのかもしれない。
もしかしたら FTMだけど 我慢できる範囲なのかもしれない。
それは僕にもわからない。
どっちが男らしいとか どっちが本当の男とか
そういうのは良くわからないが
現実を受け入れて 女の自分の体で
なんとかして生きていこうとする生き方も
また“男らしい”といえば そうかもしれない。
しかし、治療をしている人からすれば
僕みたいなのは レズビアンとか タチとかそういうので
かたずけられる存在なのかもしれない。
でも僕はどっちでもいい。
昔は レズビアンと呼ばれるのは嫌だったが
今は 自分は自分としっかり思えるから
誰になんと呼ばれても なんとも思わない。
そんなことでいちいちカッとなるくらいなら
他の事にエネルギーを費やそうと思ってしまう
何が一番最近納得いかないかと言えば
性同一性障害ばかりが世間から認められ
相変わらず同性愛は偏見の目で見られている。
そして性同一性障害者までが
同性愛を嫌悪しているケースが多い。
というか
一番同性愛に対して 嫌悪が強いのは
性同一性障害者なのではないかと思う。
それは自分も含めて。。。
僕の経験上、性同一性障害者はかたくなに同性愛者に
間違われることを恐れる。嫌う。嫌がる。
きっとそれは 多かれ少なかれ
異性愛は正常 同性愛は異常と思っているんだと思う。
僕が何を一番恐れているか
それは 性同一性障害 という言葉を無理やり浸透させて
異性愛が正常ということを概念を強調するかもしれないという事。
性同一性障害の差別はなくそう、だって彼らは異性愛者だから。
同性愛者じゃないから変態じゃない。
ただ障害者なだけだ。
こんなシナリオに見えてならない。
このまま性同一性障害と同性愛が 別々のものとして強化されていることは根付くことは
逆にいうと ヘテロセクシャルな社会の強化にもなりかねない。
僕はそういう方向性ではなく
性のありかたの自由
本当の意味での性の多様性を受け入れる社会を
目指していくべきではないかと思う。
Majority(多数派)からはずれたものを“障害”として片付け
そうすることによって相変わらず Majorityが正常という考えを後押ししていては
いつまでたっても差別はなくならないと思う。
治療を決意できる心と環境が全て整い
ガイドラインによって幸せになれた人も多数いるかもしれないが
そんな風潮の中
同性愛者と性同一性障害の中間層で
どっちにもつけず どこにいてよいのかもわからず
相変わらず無視され おいてけぼりの中間層は大勢いるはずだ。
きっと僕も そんな中の一人だと思う。
人間は
白黒ではっきり分けられるほど
明確にわかれていないから
こういう人は本当に多いと思う。
本当の意味での自分らしさを手に入れるために
今こそ
男と女という
2極の性のあり方自体を
見直すべきなんじゃないかと思う。
自分らしく 生きるために
死ぬかもしれないなんて
ちょっと
納得したくない


















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こんばんわ(*^▽^)にこっ♪
コメントありがとうございました♪
純女、ヘテ@元バイポリズボネコのさおこです。
GIDのグラデの中には、手術を受けて自分の身体を
手に入れる為なら死んでもいい!!という
信念で動く人と、この身体で生まれた事に
なにか意味があるはずだ、苦しくとも
この身体と心で生きていくべきなんだと
考える人がいるようです。
そのどちらの人がTSで、どちらがTGだとは一言で言い切れず
線も引きにくいと思います。
グラデーションの濃淡の中で、自分を捜し求める姿勢で
自分らしさと、生き苦しさの狭間で
苦しみながら、それでも懸命に生きる人をばかにして
良いはずがありません。
また、同性愛は近代社会にぽっと生まれた『病気』ではなく
古代からある一つの性愛のスタイルです。
確かに生物学上命を作り出すことのない関係は間違っていると
言われてしまうかも知れません。
が、性愛対象が同性である人が今までも、これからもどの国においても『絶滅する』と
いう事は無いみたいです。
同性愛遺伝子なんてものが研究されている昨今ですしね(笑)
マジョリティだから正しい、マイノリティだから正しくないではなく
多数決で少数派でも、正しい事は少なくありません。
強く生きて下さいd(^-^)ネ!