同性愛を毛嫌う発想の根源の一種!?

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最近久々に ゲイのメッカである
サンフランシスコのカストロ(Castro)に行ったことは
既に先日の日記に書いたのだが、
そこで実は久しぶりに思ったことがあった。

一緒に行ったのは
日本から遊びに来ていた 30代~40代の日本人男性。
僕はひょんなことから 
彼らをバイトで 街案内することになったのだが。。。。

このうちの二人は
確実にゲイに間違われそうな雰囲気の持ち主。
ステレオタイプ的で 申し訳ない判断だが、
サンフランシスコ市内を歩いていたならば
多くのゲイ男性から 
にっこりと笑顔で挨拶され
お誘いを受けても当然といった感じだった。

なので、
僕は少しばかり
実はゲイなのかな~などと
あわい期待していたのだが。。。。。

実は バリバリのストレートだと発覚。
それもタチの悪いことに

一番 “ゲイっぽい”人が
実は一番 “ゲイ”に対して
あまり よろしくはない感情を抱いていることが発覚。

昔の僕ならば、
カストロに観光に行きたがる残りの2人に対して
“なんでそんなところ行きたいんだ??”
“そんな所行く意味がわからん”
と、カストロに関心を抱く一般の観光客までをも
非難するような口ぶりの彼を
黙っては見ていられなかっただろうが

我慢して話を聞くこと10分。

何故彼がそこまで 嫌がっていたかが発覚。

それは、

彼が あまりにも頻繁に
ゲイに間違われるからだった。

それはアメリカだけでなく
日本にいても同じだという。

だから、必要以上に構えてしまったり
必要以上に意識してしまうのは
まあ無理はないなと思ってしまった。

昔、大学の時の授業で習ったのだが、
ゲイのポテンシャル(潜在能力というか潜在的に)が
ある人の方が、
ゲイに対して 嫌悪感を抱く可能性が高いと
習ったことを思い出した。

それはつまり、
自分の中に 潜在的にというか
ややそういうものが存在していて
だけど、社会的な圧力や
自分の中の理性のようなものが
それはいけないからと
その感情を消し去ろうと
無意識に葛藤しているせいとういか。。。。

つまり、目覚めている自分と
目覚めてしまいたくない自分が
葛藤しているという事だろうか。

別にこれは絶対ではないし
だからどうこうということではないが、
色々思い返してみたときに、
今まで僕が出会った人の中では、
酷くゲイに対して嫌悪感を盛っていたり
批判的な態度を取る人の中には
そういわれてみれば
めっちゃ“ゲイ”っぽい人が
多かったような気がした。

人は
受け入れたくない現実を受け入れる時、
様々なプロセスがあり
(これも心理学の授業で習った所詮、教科書的な知識でしかないが。。。)

その受け入れプロセスの中に
必ず Denial(否定)

というものが存在する。

それが確かだとすれば、
ゲイという自分を受け入れる前の段階の場合
ゲイを大いに嫌いになる時があっても
不思議ではない。

僕も含めてだが

“自分”っていうものは

実は

“自分が一番なりたくないもの”

だったりするのかもしれない。

僕が一番なりたくないもの

それは “女” である。

ということは

僕は やっぱり

“女” なのかな

実は めちゃめちゃ女だから

女が嫌なのかもしれないと

ちょっと考えてしまった。

photos by keijiro

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