1993年、Jリーグ開幕の年。。。
僕が15歳の時、高校一年生の時だった僕は
LOS ANGELES(ロサンゼルス)郊外に1ヶ月間の
ホームステイをした。
幼少時代、3年間ロスに住んでいたい事もあり、
9年ぶりに踏んだアメリカの地は
当時の僕にとっては感無量だった。
これが後に僕を高校留学へと導くきっかけになったのは
間違いないと思われる。
僕は小さい頃から色々な夢があった。
一番初めは 指揮者。
これは音楽好きな両親の影響であろう。。。
まだ幼い僕は、指揮者の真似をして、所かまわず
両手を振り回していたとのことだ。
その後は画家になりたかった。
小さい頃から絵を描くのがすきで、
暇さえあれば何か絵を描いている子だった。
決して上手いわけではなかったが、
中学一年の時には新聞に名前が載ったこともあったから、
まあまあな素質はあったんやろうかとは思う。
そして、算数と図工が何よりも得意だった僕は
小学校の中学年になると、
毎日のように不動産の広告を凝視して、
自分でノートに図面を書くようになった。
理想の家を図面に描いて、子供ながらに
理想のマイホームを夢見ていたのだ。
それを知っていた母親は、いつも不動産の広告を
とっておいてくれていたのを覚えている。
当時東京新聞をとっていた父に、
“広告が多いから読売新聞にして”
と頼んだほど、建築にハマっていたこともあった。
ところがそんな僕が小学校高学年の時に
漫画“キャプテン翼”
の影響で、
すっかりサッカーっ子になってしまった。
ちり紙交換の仕事をしていた父は、
毎日のように山のように漫画本を貰ってきたが、
僕は全くといっていいほど漫画を読まなかった。
そんな僕が唯一全巻揃えてまで繰り返し読んだのが
キャプテン翼だったのだ。
だけど僕の通っていた小学校は 少年野球は盛んだったのに
サッカー団は存在すらしなかった。
だけど諦めきれない僕は毎日毎日
家の前で一人で練習したり、
友達を誘って川原で練習したりしていた。
そして中学に入ると まだまだJリーグもなく
大して盛り上がっていない日本リーグの
サッカーの試合を先輩と見に行くようになった。
当時はまだ 試合の後に
平気で観客がグランドに入れたりもしたのだ。
もちろんチケットも無料でいくらでももらえた時代だ。
もちろん当時僕が行った女子校には
サッカー部は存在しなかったし、
女のサッカー自体が 全く知名度も人気もなかったのだ。
今のようになでしこジャパンなんていう格好いい名称もなかったし、
部活であるところは本当に限られていた。
だから僕は陸上部と茶道部に所属していたが、
やっぱりどうしてもサッカーが諦められなかった。
本当なら男としてサッカー選手になりたかったが、
当時はFTMとか知らなかったし、戸籍変更とかも
ありえない時代だったから、僕は好きなサッカーが
できるのなら、その頂点である
女子日本代表に入りたいと思っていた。
たとえ陽の当らないところでも、好きなことだから
全然構わないと思っていた。
そして中学2年の時、
僕は渋谷にある日本サッカー協会の門を叩いた。
“女子のチームを紹介して下さい”
そしてなんとかみつけた都内のとあるチームに所属した。
僕と似たような感じの女の子が数人いた。
皆、チーム探しに苦労してきたようだ。
ところが、せっかくチームを見つけた僕は
膝に大怪我をしてしまい、
全力でプレーすることができなくなってしまった。
それでも中学3年の時に手術をして、絶対に
プレーしたかったから辛いリハビリにも耐えていた。
そして少しずつだが、プレーができるようになっていた。
そして僕は、女子サッカーの王者の国である
アメリカに勝手にサッカー留学することにしたのである。
もちろん女のサッカー留学なんてものはなかったが、
僕は15歳でブラジルに単身サッカー留学して18歳でプロになった
カズこと三浦和良選手に続けとばかりに
勝手にアメリカサッカー留学決意したのだった。
高校在学中も毎日バイトをして留学費用を稼ぎ、
高校2年で休学してからも朝6時から夜11時までバイトをして
何とか留学費用を貯めて
1994年7月15日 僕は成田空港からサンホゼ(カリフォルニア州)に
旅立った。16歳の夏だった。
ちょうど アメリカではサッカーのワールドカップが行なわれていたが、
ドーハの悲劇の為、日本は出場はしていなかった。
そして僕はアメリカの高校の女子サッカーチームの入団試験に
なんとか合格し晴れてサッカー部員になったのだった。
それは日本人で始めてイタリア セリエAのジェノアに
カズが入団したのとタイミングが丁度同じ時だった。
そして、イタリアで頑張っているカズの雄姿と、
日本から応援してくれる友人達からの多くの手紙に応援され、
毎日毎日厳しい練習とリハビリに耐えていた。
今思えば、僕はサッカーをやっていたときほど
男に生まれてこなかったことを悔しく思ったことはなかったが、
今、少しずつ盛んになる今の女子サッカーを見ていると
少しだけそんな気持ちが癒されるような気がする。
僕の膝は結局完治せず、
おまけに20歳で椎間板ヘルニアになった御陰で、
現在はサッカーをするどころの体ではなくなってしまったが、
“絶対にサッカー選手になる”
と11年前、母親とクラス中の子に豪語し、
絶対有名になるからと友達のノートや下敷きに
サインをしまくってに日本を飛び出した僕なのだから、
なんらかの形で この責任を果たさなければと思っている。
別に誰の為とかではないが
自分の為に。
16歳17歳の頃は
叶わない夢なんてないと信じていたし、
堂々を胸を張って 自分のしたい事を宣言していた。
なんのためらいもなく、なんの迷いもなく。。。。
だけど28歳になった僕は、
自分のやりたいこと一つ 明言できないでいる。
随分逃げ腰になったし、
当時の友人から
口ばっかりと言われても文句は言えない。
久しぶりに会う友人達は、こんな僕でも温かく迎えてくれてるけど、
本当はみんな
“サッカーはもうやってないの?”
と聞きたいに決まっているはずである。
だけど多分、聞けないでいるんだと思う。
それと同じように、僕も自分でも
そのことに触れるのを避けてきていた。
それは大口をたたいて日本を飛び出しておいて、
結局何も成し遂げられなかった自分を認めたくなかったからだと思う。
だけど今は、
その現実を、いち早く受け入れて
自分の悔しさや弱さを
強がらずに
正直に口にすることじゃないかと思う。
今までずっと強がって
まるで今はサッカー選手になりたいとは思っていないような
そんなそぶりをしてごまかしていたけど
実は全然そうじゃなくて
男に生まれてこなかったことよりも悔しいことが
実は
サッカーができないことなのだ。
死ぬほど気が狂いそうで、
FTMの治療を受けようと思ったことも何度もあったけど、
僕の膝と腰が完治して もう一度サッカーができるなら
男になることを完全に諦めて 女のままでいもいいと思えるほど
僕はサッカーを愛していたし、
今でもそうである。strong>
今まではワールドカップを見に行くことで
なんとかその気持ちをごまかしていたが、
僕が本当にしたいのは
観戦ではなくて
プレーする方なのだ。
もちろん観戦も大好きだけど
僕はどうしても
もう一度サッカーがしたい
ケガをしたのがめちゃめちゃ悔しいし
本当は今だって諦めきれないでいる。
やっぱり
笑われても 人になにを思われても
一生叶わないままでもいいから
本当の気持ちを大切に生きていこうかな。。。と
思います。
アーーーーーーーーーーーーーーーー
すっきりした。
今日はめっちゃ話がそれてしまったが
僕の生い立ちを語る上で、
サッカーはどうしても
切っても切れないものなので
熱く語らせてもらいました。
次回は・・・
19歳大失恋ののちに、
ほぼ男として生活した2年間
ヨーロッパワールドカップ旅行のお話をしたいと思います
つづく。


















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