逆カバ(KABA)ちゃんが語る!最近のFTMやレズタチの争いを見て思うこと。争う相手が違いません??

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今日は気分は逆カバちゃんです牢 女版自称KABAちゃんが行く!

今日は僕が最近思っていることを真面目に語らさせて貰いたいと思います。
別にかしこまった話でもないのだが、久しぶりにいろいろなサイトを訪問して
ちょっと悲しくなってきてしまったので我慢ができずこうして書くことにした。

10年前、僕がまだ18歳だった頃、FTM,性同一性障害なんていう言葉も
ほとんど知られていなかった頃、僕のように幼い頃から
“自分のことを男だ”と信じて来た、ずっとずっと男になりたかった、
明日になればおちんちんが生えてると毎日願って寝ていた。。。。”
という人達は、そのまま思春期を向かえ、
色々な個人差はあろうとも、大体中学生くらいで女の子と
つきあったりして、そして新宿2丁目を知り、レズビアンという世界を知り、
そして男っぽいレズビアン(Dyke,タチ)などと呼ばれるような感じで
体はいじらず、生活していたと思う。

当時は心と体の性が不一致であるとういことは世間的にも医学的にも
認められておらず、あくまで体が女(男)で、恋愛対象も女(男)であるから、
同性愛者という風にひとくくりにされていたと思う。
そして、女同士はレズ、男同士は(何故だか)ホモ、両刀はバイなどと
呼ばれていた。

現在世界的に使われている、非差別的用語のGay(ゲイ
なんていうシャレた呼び名も、実はけっこう最近で、
ちょっと昔までは、平気でホモ~とか、差別的に、そして自虐的にも呼んだりした。

この“同性愛者”とひとくくりにされた人間の中にも、様々な人がいるのは当然で、
すっごい女なのに男に見間違う程、というか男よりも男っぽいという感じの生物的女の人もいれば、どっからどう見ても女のような男の人もいたし、逆に一見ストレート!?という風にしか見えない人もいる。そしてその中間層もいるし、とにかく人なんて100人いれば100人違うのだが、当時はとりあえずひとまとまりだったような気がする。
そしてある意味平和だった。

現在の氾濫するトランス、レズビアン、ゲイ、FTM などなどのサイトの中で、

“お前はFTMじゃなくて タチだ。。。”
とか
“女子校通えるなんてFTMじゃない”
とか
“診断書が下りてないから偽物だ”

などなど

僕から言わせれば こんなに あほらしく

そして 無意味な論争は存在しなかった。

そういう意味では、影に隠れ、世間から白い目で見られているが故に、
少数派同士頑張ろうよ。。。お互い共通点も違うとこもあるけど、協力していこうよ。。。。という時代は、戻ってはいけないところではあるが、ある意味忘れてもいけない時代だと思う。

つまり、せっかく増した世間の認識と、
せっかくインターネットの普及で簡単に出会えるようになった仲間達なのに、
それが裏目に出てしまえば、
仲間が増えれば増えるだけ、
世間で認められれば認められるだけ、
その大きなグループは細分化して別れ、
そして自分と違う相手だったり、他のグループと争うようにさえなる。

クラスの誰にも相談できず、誰か自分のような悩みを持っている人はいないのか。。。
ほんの少しでも、自分のように同性の子が気になる子と話がしてみたい。。。。
どうにか親にも友達にもばれずに、そんな仲間と出会える方法はないだろうか。。。。

そう多くの人が模索していた時代は、似たような仲間と知り合えるだけで幸せだったし、
相手が自分の事を女とか男とか、ねことかタチとか関係なく、
とにかくほんの少しの分かり合える何かだけで仲よくなれたのに、

今は、その仲間達を平気で罵る人が多すぎる気がする。

自分達が、まるで“変態”と扱われた日々のことを忘れ、そして、大多数の人の“スタンダード”を押し付けられることでどれだけ傷ついたかなんかすっかり忘れ、
まるで自分がどこかの偉い人にでもなったかのごとく、
今度は自分の中の定義で、好き勝手に相手を判断し、時には罵る。

異性が好きなことを当然として来た世の中や世間の人々に、
それを無言の圧力で押し付けられ、
そのせいで、同性を好きな自分が全否定された気持ちになり、
“僕は(私は)、絶対に人を自分の価値観やものさしで決め付けたりしない”と誓った日々のことなど忘れ、
平気でやっている人が多すぎる気がする。

アメリカでは、Hate Crime というのが多発している。
これは、何かに対しての憎悪で、例えば、
ただ黒人だから、ただ同性愛者だから、ただ日本人だからなどの理由で
その人とターゲットにした犯罪を犯すことといわれている。

幸い、日本ではお台場の事件依頼、同性愛者が、同性愛者だからという理由で、
憎まれて殺されるという話は聞いてはいないが、
今、同性愛や性同一性障害などの今まで不可視だった存在が
認められれば認められるほど、僕等の生活は向上もするし、
社会的立場も強くなる一方、そういった犯罪のターゲットにもなりやすくなる。

つまりどういう事かというと、今まで存在はしっていたけど
見えてなかったから、そうでない存在を脅かすことはなかったけど、
それが例えば 世間の大半とされている異性愛者の脅威となりはじめると
犯罪の対象になる可能性が格段に増すのだ。

話はそれたが、つまり、
これからが大事な時なのだ
争っている場合ではない。

僕が通ったサンフランシスコ州立大学(San Francisco State Universtiy)は、
全米の中でも珍しい、大変に進歩的で革新的な学校だった。
場所柄もあるが、先生の中にも多数の同性愛者の方がいて、
その多くがそのことを包み隠さず生活していた。

それができるのも、カリフォルニア州では、性志向などを理由に一切の差別をすることが
法律ではっきりと禁止されており、同性のカップルも、異性の結婚している夫婦を同じように
ベネフィットがあり、権利も保障されているからできることなのだろう。
同性結婚は禁止されているが、同性愛を差別することも絶対に禁止されている。
ま、実に矛盾もしているのだが、そういう事らしい。

とにかく、僕は在学中、副専攻にしていた時期もある程、Human Sexuality と
Gay and Lesbian Studies の授業をたくさん取った。
日本では考えられないが、このような科目や副専攻は堂々としたアカデミックな学級的な科目なのである。
この大学に来た日本人のうちかなりの数の日本人が一般教養の中で
必ずといっていいほど取っていた人気の学科でもある。

僕が勉強した科目は以下のようなものだった。

VARIATIONS HUMAN SEXUALTY
SEX AND RELATIONSHIPS
CONTEMPORARY SEXUALITY
HUMAN SEXUALITY
DEVEL FEMALENESS+MALENESS
Lesbian Lives and Thoughts

ゲイ、バイ、レズビアン、トランスの人達がゲストで来るのは当然のことで、
中には動物とセックスする映画を見せられたり、
明日にも亡くなりそうなエイズ患者の方がいらっしゃって、
自らの話をしに来てくださったり、
一まとめにはできないような、多様な、そして驚くばかりの授業内容だった。
正直 朝からきついな~と思う内容のものもあった。
平気で朝からでっかいスクリーンで 女と男がマスターベーションをするシーンを
モザイクなしでモロアップで見せられたりするのだ。
潮吹きの構造やその映像、性病の画像までも。。。。

でも僕は取り続けた。それはかつて僕はセクシャリティーの講師として、
または性教育を躊躇する日本の先生を教育する立場として
日本中の学校を訪問したいと思ったからだ。

性同一性障害というのは、わりとすんなり(金八先生の上戸彩でもおなじみ)
世間に受け入れられ、
何の躊躇もなく生徒に話ができる先生も多いと思うが、
こと同性愛に関しては、未だ保守的で、先生本人も認めきれないという人が多いのか、
なかなかきちんと伝えることが難しいようだ。

性同一性障害は、異性愛者という風に受け止められがちだから入り易いのであろう。
もちろん性同一性障害の方にもバイセクシャル、ゲイ、レズビアンなどなど
定義すればきりがないし、全員が全員ヘテロセクシャルではないのだが。。。

それはさておき、実はVARIATIONS HUMAN SEXUALTY (多様な性)という授業の中で、
レズビアンの方がクラスに来てスピーチをしてくれるという日があったのだが、
なんとドタキャンでその方は来れなくなってしまった。
ゲイ男性の男の子は予定通り来たのだが、スピーカー2人の予定だったので困った先生は、

“誰かこのクラスで、カミングアウトして体験を話してくれるレズビアンの方はいませんか?”

と言ったのでした。

僕は友達にも隠してはいなかったし、別に人前で話すのは英語だからちょっと大変というのは
あるにせよ、嫌いではなかったので、すぐに手を上げようかと思ったのだが、
“レズビアン”ではなく、当時男として女性とおつきあいしていた僕は、いくら女同士でつきあっているとしても、レズビアンと呼ばれると、何かしっくりこないものがあった。

そうこう迷っているうちに、時間は過ぎ、結局誰も立候補しない。
クラスにはアメリカ人、韓国人、日本人など色々な人がいたが、誰も手を上げる様子もない。
困っている先生を見て、僕は

“あの~ レズビアンっていうのとはちょっと違うんですが、僕で良ければ話しましょうか?”

とつい言ってしまった。

アメリカ人の子生徒達は、坊主頭でタトゥーの入った僕を見て
“だろうね” “やっぱりね”
という顔をしていて、誰も驚いていなかったが、
“本気???” “信じられない”
といった顔で僕を凝視していたのは韓国人の女の方2人だった。
育って来た環境を考えれば無理もない。僕は気にしないようにした。

結局何を話すかを決める時間もないまま、僕は教壇の前に立った。
国籍も年齢も専攻も様々な大学生を相手に、英語でスピーチをするのは
決して簡単ではないが、とにかく思ったことをできる限り率直に話そう。
そうとだけ思って、僕は自分の生い立ちから話始めた。

七五三で着物を着され泣きながら、はかまがいいとおねだりしたこと。
タッションを試みたこと。ずっとおちんちんが生えてくると思ったこと。
初恋の相手のこと。そして、自分が今どんな風に恋愛しているかなど、
思い出せる限りのことを話した。

そして、このとき僕が一番強調したのは、自分はレズビアンかどうかわからないということ。
別に選んで女を好きになっているわけではなく、好きになる相手がなぜだかいつも女だということ。
だけど男と絶対にエッチが無理!とかそういう意識はないということ。
好きになった相手なら性別はそんなに気にしないということ。
そして、いつも付き合う相手は自称“ストレートの女”ということ。
そして、その子たちがいつも僕を男として好きになり、そして僕も彼女達を男として好きになっていることを。だから僕は体だけ見れば女同士だけど、僕は男として女を好きだから異性愛者なのかと思うと。。。

19、20歳の僕は、そのように熱く語った。

それを聞いた先生は、焦ったように

“治療は受けているのか?自分の体を見て、嘔吐したりしていないか???”などなど色々と心配してくださった。

専門の先生(かなり有名な)だったので、彼は僕に強く治療とカウンセリングを薦めた。
僕も、既にGIDとかSRS色々と知識はあったので、先生に言われるまでもなく考えてはいたが、
身体的副作用、一人っ子という境遇、知れば知るほど完璧な男にはなれないという現実、後戻りが不可能な治療、友達や家族のこと、男にしては低すぎる身長、つきあうであろう女の子達のこと、。。。

色々考えることが多すぎて、まだ決断が出せずにいた。

そこへすかさず、先ほどの韓国人の子からバシバシと質問が飛ぶ。

“男として好きになった女の子は、貴女が女だって知ったら傷つかないの!?”
(っていうか最初から言ってますが(笑)
“体が女なのに、心が男なんてありえなくないですか??”
“良くわからないけど納得できないんですけどー”
“ペニスがないのに

どうやってエッチするんですか?

できるわけなくないですか?”

などなどびっくりするほど質問攻めにされた。

だけど当時の僕は元彼女が韓国人と在日韓国人だったこともあり、
韓国の歴史や文化、風習や言葉も人よりは知ってしたので、
決して怒ることはなかったし、できる限り丁寧に質問に答えてあげた。
彼女だけでなく、どの国の人でも未だに

セックス= ペニスの膣への出し入れ及び射精

という乏しいイマジネーションうを持っている人が少なくないので、
僕も何度もいろんな人に質問された。
それはきっと皆も同じだろう。

結局、僕のスピーチは大好評に終わり、ゲストだったゲイの男の子よりも
何倍も良かったとクラスの子達は皮肉にも言ってくれたが、
残された課題があった。

それは、僕はレズビアン?それともGID? それともバイ?

ってか何???

だけど、人々は皆違うわけだし、そんな限られたカテゴリーに綺麗に収まるはずもないのだ。
だけど人間という動物は不安で、すぐにグループを作ろうとするから、
すぐにチームわけしたがる。

先に述べたように、最初は ”マイノリティー”
だった仲間達が、更に細分化して、そしてしまいには喧嘩したりもする。
健康的と言えばそれまでだが。。。

今だって僕は、男になりたくないって言ったら嘘になるし、
もしも100%男になれる方法が開発されたら、それをしないという保障はどこにもない。
それに僕自身の考え方だって、日々変わっていっている。
だから“絶対”なんてものはそもそも存在しないのだと思う。

つまり、
絶対にこっからここまでが男で、こっからここまでが女とかもないと思うし、
今日までストレートだったから絶対にゲイになることはないとかそういう決め付けもおかしいと思うし、
“俺は何者だ”とカミングアウトすることは尊敬できることだけど、
カミングアウトできる内容っていうのは、
その時のその人の気持ちだけであって、それが絶対に不変のものとはいえないし、
その人の自分自身の定義が、第三者の定義と違っていることもあると思う。

“自称FTM,とか自称○○。。。。という人に診断書もらえよ!とか、
“FTMならレズビアンサイトに顔出すなとか ETC。。。”

という風に、FTMとは、レズビアンとは。。。と自分が定義したものと違う
発言や行動を取るものに対し、必要以上にバッシングをする人がいるようだが、
所詮、定義なんて“自称”でしかないと思う。

医者の診断書にどれだけの真実味があって、
FTMとタチの間にどれだけの違いがあるっていうのかは知らないが、
所詮、自分の事は自分でしか決めれない。
それに、自称以外で誰かに “何とか” って ラベルを貼られて呼ばれるなら
全然意味がないと思う。

僕個人は、そういったカテゴリーやラベル自体、無意味なものだと今は思っているが、
そういうものが存在するのは、利便性と、そして人間という生き物がそうしないと
うまく生きていけない人種だからだと思う。

つまり、他人に決められるくらいなら、意味がないのだ。
本人がそう呼ばれることでなんらかの安堵感を得て、居場所ができ、安心感を覚え、
なんだか自分に自信がつくのであれば、
カテゴリーに分ける意味も少しはあるのかもしれないが、
それさえ許してもらえぬのなら、カテゴリー存在の意味さえもない気がする。

僕は昔から自分のアイデンティティーーやセクシャリティーを隠してはこなかったから、
いわゆるカミングアウトというヤツを何百回となくしているが、
最近思うのは、

最近はカミングアウトする内容がないということ

つまり、自分を正しく表してくれるカテゴリーなんて存在しないことに気がついたのだ。

レズビアン、バイ、トランス、FTM,性同一性障害、同性愛、ストレート などなど

人間は達者に色々な語彙を作り上げるが、その定義は人によって多少違うものだから
全く同じではないし、それに僕自身のセクシャリティーやアイテンティティーも
必ずしも不変ではない。

だったら何をカムアウトすると言うのか。。。

正直する必要もないのだが、少しでも世間の方に僕みたいな人間になれてもらうために、
テレビの中だけじゃなくて、身近に僕みたいな人が実際にいるということを知ってもらい
不可視から可視になってもらうために、今でも一応はカミングアウトらしいことはしている。

“つきあってるのは女で、僕は女だけどあんまり女っぽくないよ”とか
“わからんけど、自分の好きなように生きてます” みたいな。(笑

すげーちゅうと半端なカムアウトだが、いえることはこの程度でしかない。
女が好きとも断定できないし、俺は間違って生まれた本当は男だとも断定できない。
だから、最近は普通すぎて迫力もない(笑

僕にとって決定的だったのは、ある日、カミングアウトもしてない母から
突然唐突に一本の電話が来て、
何を言うでもなく、

“性同一性障害” って言うけど お母さん、あれは障害ではないと思うよ。
人それぞれだから、治療をしてその人が幸せならそれはそれで素晴らしいことなんだけど、
人はそれぞれなんだから、男の体=男の行動、脳みそ っていう定義自体が必要ないのよね。
障害なんて思わず堂々と、好きなように生きればいいじゃない”

と言ってきた。

“俺、カムしてないのに何でしってる?”

と思ったが、

うん、私もそう思う(←一応親の前では私(爆

といって、電話を切った。 
めちゃめちゃびっくりした。 しばらく興奮しっぱなしだった。
もちろん僕がFTM前提で話を進めているのも驚きだけど、
それは半分ばれているだろうと思っていたからいいとしても、何が驚きって、
僕と同じことを考えていたからだ。

僕も、何が一番ひっかかるって、“障害”という言葉なのだ。
たかが言葉といってしまえばそれまでだが、
何故、心の性と体の性が一致しないことが障害なのか。。。。

というよりむしろ、心に体のようにはっきりとした性があるのだろうか。。。。と。

心は男らしさ、女らしさの混在するものであり、どちらかが100%の人間なんていないはず。
それにそれは不変のものではなく、常に変数なはず。

お医者さんは心の中身を覗いて、
ああ、この人は女ですが心の性は70%が♂ですので
性同一性障害ですね。。。
みたいな。

そんなマイクロスコープあるんっすか???と思っていたのだ。

勘違いしないでほしいのは、治療をしている方を非難したり、
間違っていると言いたいのではない。
僕だって喉から手が出るほどちんこが欲しかったし、筋肉が欲しかったし、
それは6年も一緒にいる彼女が誰よりも知っている。

だけど、様々なリスク、副作用を追って、個人が治療をすれば
一見問題は解決するようにも見えるけど、本当の意味で苦しむ人が減るためには、
性転換する、しないに関わらず、世の中の人が皆、多種多様なセクシャリティーと性自認、
そしてありとあらゆる選択があり、そして どの個人にも幸せに暮らす権利がある と
本当の意味で理解することではないかと思う。

だから僕は、
FTM だの タチだの 偽物だので
誹謗中傷をしているサイトを見たりすると
本当に悲しくなるのだ。

憎むべきは個人ではなく、レズビアンにしろゲイにしろ、
トランスにしろ、性同一性障害にしろ、
世間で普通とされている、心と体の性が一致した異性愛者でないことを理由に
様々な場面不利な状況に置かせた社会であり、
そして、大多数でないことがまるで“悪いこと、いけないこと、”と錯覚させ
時には個人を自殺にまで追い込んだ世の中であり、
そして、心と体には二つ(だけ)の性があり、
人はみなそのどちらかに属し(属すべきだと)考え、
心と体の性が一致してない場合は、“障害”です として、
まるで一致していないことが
さも異常であるかのように仕立て上げた社会なのではないだろうか。

僕もかつでは、一日も早く治療が始められるよう、一日も早く診断が下り、
一日も早くホル注をして、すこしでもクリトリスが拡大することを
切に願った一人であるから、
社会が障害ですと正式に認め、戸籍変更を許可し、
治療が日本でできるようになるというのは、
実は誰よりも心待ちにしていたことなのだ。

しかし、本当の問題解決は、多種多様な個人のあり方を完全に受け入れる社会になるまで
お預けなのだと思う。個人がホルモンで治療して納まるほど、これは簡単な問題ではないと思うのだ。

そもそも、性同一性障害を生んだのは、女は女らしく、男は男らしくを正しいとしてきた
社会が、そうではないものを間違いとすることによって作り上げた生物学的な病気ではなく、
社会的な病なのではないかとさえ思う。

これに関しては賛否両論もあるだろうし、せっかくここまで法改正もされたので
現在の戸籍変更や性同一性障害の治療のガイドラインを変更してほしいとは今は思わない。
ただ、性同一性障害ではないかと思っている人達に、そしてその周囲の人、
世の中のみんなに、自分達が社会に振り回されている可能性が
存在することも忘れない欲しいのである。

正直な所、僕は、その人が幸せになるのであれば、治療は反対ではないし、
自分の人生だから好きに生きる権利があると思う。だから大いに応援したい。
そして僕もまた、この中途半端な生き方が、きっと好きだからやっていられるのだと思う。

最後に、掲示板などで
「そんな男男してません」「一応女です」「ボーイッシュ」 などなど
こういう発言にイチイチ反応している最近の自称、もしくは診断書があるからと
大威張りのFTMさんたちをお見かけしますが、何でそんなに人のことが気になるんですか?

自分がもし、なんらかのきっかけで、もしも誰かに
“お前は男じゃなくて、レズタチだ”
と言われたら、とっても嫌でしょう???

すごいムキになってきっと反論すると思います。
そしてその気持ちはすごい良くわかります。
僕も昔、僕を女扱いする人は、老若男女問わず、
“女じゃないっす”“女扱いしないで下さい”
イチイチ言ってムキになってはむかっていたから。

だけどその時働いていた店のオーナーに言われたんです。

“本当に自分の思ってることに自信があるなら、そんなにムキにならないでしょう”と。

僕はハッとしました。今にも崩れたしまいそうなもろい自信だったから
僕は必死になってそれを守ろうとしていたのだと。

もし僕は絶対にFTMだと思っている人が、自分ではFTMだと認めたくない相手に
FTMを名乗られたからってムキになっているとしたら、
それは他人の価値観や定義に自分の考えが邪魔されているということだと思う。
つまり、邪魔されたら立っていられないほど、自分がモロくて、不確かなんだと思う。

だけど人間なんて皆不確かで、もろいもの。
だからそれをどうこうしろと言っているのではない。
それだけ相手だって必死で、不安だし、模索しているのだろうから、
相手の文句を言ったり非難する時間があるのなら、
自分と少しでも向き合って、少しでも自分を好きになればいいと思う。
自分に自信が持てないから、人は誰かを責め、相手を非難するのだと思う。

本当に自分に自信があるのなら、誰に何て呼ばれようが、
誰かが自分のことを間違った名前で呼んでいようとも
そんなことは気になることでもないし 焦ることでもないと思うのだ。

長々と今日は書いてしまったが、どうしても書きたかったので。

読んでくれて有難うです。

ご意見ご感想お待ちしております。

けい

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